さっちゃん
中学三年生のときに同じクラスで仲良しグループにいたさっちゃん。
わたしはある子のことが好きで、その子がさっちゃんと仲良くしているのが面白くなくて、その子を問い詰めた。
好きなんでしょ?
最悪な女だ。
でも、さっちゃんのことは友だちとしては好きで、楽しく話もしていた。
ただ、その好きな子がさっちゃんを意識しているようで、腹が知りたくてずっと探りを入れていた。
その子はなんだか面白がっているようで、明確に答えはしない。
たぶん、わたしがやきもきしているのが楽しかったんだと思う。
そんな中学生生活とも別れを告げ、それぞれの高校へみな散らばった。
わたしの気になっていた子は親友と一緒に同じ高校に進んだ。
そこからは仲良しグループは連絡を取り合ったりしてはいなかったと思う。
わたしは高校に乗り換えなしのバスで通っていて、後に乗り換えはあるが電車の方が早いことに気づくまで、早朝六時に起きてバス通学をしていた。
そのバス停でよく会ったのがさっちゃん。
一緒には乗るが、降りるところはちがう。
さっちゃんはわたしの高校のすこし離れたところの高校に通っていた。
偏差値はわりと高い方だと思う。
そんなある日、わたしは(あまり細かくは覚えてはいないが)、なにかしらの悩みを持っていた。
高校に入ってまだ間もない頃。
バス停でしょげかえるわたしの横に座り込んで、励ましてくれたのだ。
『人生はあなたが思うほど悪くない、はやく元気だしてあの笑顔を見せて』by竹内まりや
そう囁くように歌ってくれたのだ。
わたしはそのとき、込み上げる涙を堪えようと必死になり、さっちゃんに向かってなにも返せなかった。
ありがとう、のひとこともいってない。
とにかくかっこつけるので必死だったのだ。
最悪な女だ。
嬉しかった。さっちゃんの澄んだ声がわたしの胸に染み入り、優しさに甘えてしまっていた。
それからしばらく経って、電車通学の方が早いことがわかり、さっちゃんに訳をいってバス通学をやめた。
とくに湿っぽい別れもなかったと思う。
それ以降、さっちゃんと会うことはなかった。
ところが、名古屋市内からも離れ、となりの市に引っ越し、二十歳を過ぎてわたしもピアノ講師として忙しくなったある日、近所にさっちゃんが引っ越してきた。
結婚をして、その市に嫁いできたらしい。
突然連絡をもらい、わたしは招かれるままにさっちゃんの家を訪れた。
「結婚したんだね。おめでとう」
「まるの家が近いって聞いて連絡しちゃった、ごめんね」
「ううん、こちらこそありがとう」
そんな会話を交わして、ミートソーススパゲッティを作って振る舞ってくれたさっちゃん。
缶詰めのミートソースだったけど、とても美味しかった。
なにより、誘ってくれたことが嬉しかった。
ところが、そこからわたしはそこから多忙を極め、お礼にさっちゃんを家に招くこともままならず、いそいそとよその家へと嫁いでいった。
いや、なにかひと言くらいいえただろう。
そうだ、そのとおりだ。
なにもいいかえせない。
わたしは冷たい人間だ。
最悪な女だ。
わたしはさっちゃんに別れを告げることもなく、ばたばた結婚をし、その市を離れた。
なにせ知り合ってから一年も経たずに婚約し、結婚したのだ。
ウェディングドレス、結婚式場、披露宴会場、招待客に振る舞う料理、会場の飾りつけ、流す音楽、引き出物、住む家、嫁入り道具。
すべてを決めるまでぎちぎちのスケジュールでこなしていった。
忙しくて、心に余裕がなくて、さっちゃんどころではなかった。
仕事は続けられた。
それでも、わたしは、さっちゃんのことをおざなりにしていた。
いつでも行けば行ける距離だ、と思うとかえって行けないものだ。
新婚旅行のお土産もさっちゃんの分まで買ってきた。
それなのに、さっちゃんに会いに行けなかった。
いや、お土産を渡しに行ったかもしれない。
そこのところの記憶が曖昧なのだ。
渡しに行っただけで、長居はしなかったのかもしれない。
ただの報告だ。
さっちゃんも、ありがとう、という気にはならなかったのかもしれない。
そうして何十年かの時が経つ。
この年になり、よくさっちゃんのことを思い出す。
ツラいとき、さっちゃんの『はやく元気だしてあの笑顔を見せて』の歌声が脳内にリフレインされる。
ごめん、さっちゃん。
今ごろ、どこでどうしているのかは、もうわからなくなってしまったけれど、さっちゃんの優しさはわたしの中で沈殿し、底に居座っているから。
あのときの歌声、一生消えないから。
中学三年生のとき、ちょっとジェラシーを抱いちゃったけど、さっちゃんのことは嫌いになれなかったから。
だって、いつも笑って「まる~」って話しかけてくれたから。
さっちゃん、もう二度と会えないかもしれないけど、本当にありがとう。
元気でいてね。
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