Love Letter
「来週ね、また引っ越すんだ」
「どこに?」
「サンフランシスコ」
「アメリカ?」
「そう」
「どうしてまたそんな遠くへ?」
「お父さんの仕事で」
「そっか、お父さん、パイロットだったよね」
「うん」
「高校は?」
「向こうで編入する」
「英語、しゃべれたっけ」
「すこしだけなら」
「遠くへいっちゃうんだね」
「うん、ごめんね」
「いや、謝ることじゃないよ」
「手紙、送るから」
「待ってる」
「ほんと、ごめんね」
「泣くなよ」
「だって、もう会えない」
「大人になったら会いに行くから」
「うん」
「元気で」
「じゃあ、あたし行くね」
「わざわざ来てくれてありがとう」
「さよなら」
「さよなら」
「これまで、本当にありがとう」
「うん、こっちこそ」
「バイバイ」
「うん、バイバイ」
彼女は泣きながら僕の部屋から去っていった。
僕はしばらく呆けていた。
ふと床を見ると、カーペットの隅にきらりと光るものがあった。
はたしてそれは彼女のイヤリングだった。
きっと忘れていったんだ。
追いかけないと。
でも、僕は考えた。
もしかして彼女はもう二度と会えないことを予想して、このイヤリングを置いていったんじゃなかろうかと。
自分の分身として。
リボンの形の銀のイヤリング。
彼女はそれを僕に渡したかった。自分自身がたしかにそこにいたという証を残すように。
僕が君を忘れるはずなんてないのに。
三十年まえの僕には信頼がなかったのかな。
しかたないよね。
サンフランシスコがどこにあるかなんて地図を広げようともしなかった。
また、いつでも会えるよね、なんでそんな軽薄な考えでいたんだ。
でも、彼女は知っていた。
僕らがこうして向かい合わせられるのは最後なのだ、と。
あれから三十年が経ったね。
僕はいまでも夢で君を見る。
スクランブル交差点で君の手を離してしまう夢。
君を見失って、ひどく後悔する夢。
本当に、もう会えないのかな。
君は曲がったことが大嫌いだったね。
だから、あれも嘘じゃないんだよね。
大好きだったよ。
もう会えなくとも、互いを忘れない。
きっと、君が幸せで家族の温もりの中で生きている。
そう思わせて。
そう願わせて。
僕はいま、幸せだよ。
優しい娘がいる。
君が嫉妬するほど幸せかもね。
だから、もしも僕のことでいまもなお苦しんでいたら、もう苦しまないでほしい。
胸を射貫く矢は僕に成り代わって君の愛する人が取り去ってくれるから。
そんなこともできずにうろうろ彷徨っているだけの人なら、僕が飛んでいく。
僕は、幸せだ。
ただ、君と生きる未来があるとしたら、もっと満ち足りていただろう。
大丈夫だ。僕は大丈夫。
君がいい母であれるのなら、それですべていいんだ。
ほら、君の子供がプールで溺れかけているよ。
泳ぎ方をまた一から教えてあげないとね。
君は笑う。
僕は、右膝を傷めたよ。運動ができない。
それとね、肝臓の数値がよくないだ。お酒はほどほどにってさ。
そろそろ記憶も曖昧なんだ。
君のフルネームはいえるけどね。ただ、漢字を忘れてしまったよ。
卒業アルバムもどこかへいってしまったしね。
ビール腹を揺らして行くのは恥ずかしいから、もし、君と会えるときがきたら、ダイエットするね。
君のお節介がぼくにはすこし鬱陶しくてさ、あの頃、僕は反発ばかりしていたね。
いまなら、君のいう通りにするよ。
君の有り難みが胸に染みる。
君がいない四半世紀を、僕はなんとなく生きてた。
また、僕の後ろから、だからいったでしょ、って声が聞こえそうで。
でも、もう聞くことができなくて。
泣いていいかい?
君の膝はもう借りられないけど。
忘れたくない。眠りの中でも君はあの頃のままで。
とても綺麗で、凛々しくて。
君との日々は充実していて煌めいていて。
明日目覚めたら、なんてことのない日常を生きるのだろう。
寝坊して慌ててパンを口に咥えて、君のイヤリングが引き出しの奥からでできたことも忘れて。
でも、これだけは確かだ。
君が大好きだった。
変なところが大人びていて、変なところが幼くて。
喧嘩の仲裁も君が入れば誰もがたちまちおさまる。
その中で、誰よりも怒っていたのは君だったからね。
在日だった君を陰口から守るのは正直大変だった。
口汚くいう男子もいたからね。
でも、ほとんどの生徒は天真爛漫な君が大好きだったよ。
バカ正直でさ。
それが僕の自慢でもあった。
君のイヤリングも棺おけに入れてもらうんだ。
生涯、忘れないよ。
だから、幸せにね。
どこにも届かないLoveLetterだけれど。
いまだ、スクランブル交差点で君を探す癖、抜けないよ。