「雨の夜に月はでない」
「月はお好きですか」
男は問う。僕のとなりに座って。
雨のそぼ降る夜の公園、僕は髪から雫が滴り落ちるのも構わずに、ベンチに座っていた。そこに男がやってきたのだ。
「わたしはね、月を見るとどこか遠くで暮らしている昔の家族のことを思い出すんですよ」
男は勝手にしゃべりだした。僕の気分などお構いなしで。
「昔の家族はよかった。わたしを中心に回っていた」
男はさも嬉しそうにしゃべった。男も雨に濡れているが、やはり構わないようだ。
「わたしにはね、娘がひとりいたんですよ。真ん丸顔の可愛らしい娘がね」
僕はいつしか男の話に聞き入っていた。
「でも、もういないんです。二度と会えないんです。いや、全部わたしが悪いんですよ。わたしが、悪いんです」
男は顎を上げ、空を見回した。
「雨、やみそうもないですかね」
男は残念そうにいう。声が次第に小さくなっていく。
「月、見られるといいですね」
僕は自分でいっておきながら、なんて陳腐なんだろうと思った。
「わたしは大きなものを失いました」
男の声はほとんど消え入りそうだった。だけど僕は腹を立てていた。
「僕も、きょう、愛しい人を失ったんです。彼女は死にました。ビルから飛び降りて」
男が空から目線を僕に移した。
「だから、悲劇の主人公みたいな顔のあなたを馬鹿らしく思う」
僕は憔悴しきった男に留目を刺そうと思ったのだ。
「雨の夜に月はでない」
僕はそういい捨て、男を残して公園をあとにした。
なぜだか、気分が晴れてきた気がしたのだ。口から出任せをいったせいかもしれない。
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