3.無意識の壁
こんにちは皆様!
本日は、今回はVancouverに到着して、
家を探し、なんとか住むところを見つけた時に、溢れ出た疲労感についてお話をします。
知らない土地や、知らない場所を歩くのは不安もありつつ、なんだかワクワクしますよね?
海外旅行の醍醐味はそこにあるって方も多いのではないかと思います。
前回の記事を読んで頂いた方は少し理解をしていただけるかと存じますが、
家探しにかなりの労力を使い果たし、身体的にもメンタル的にもすごく疲労が溜まっておりました。
一時的な場所ですが、家も決まったことだし、少し息抜きにスケートパークに向かい、
バスの中で色々なことを考えました。(考えるな感じろ)
以下、私の思考回路です。
・東京でのサラリーマン暮らしもなかなかハードな働き方をしていたと私自身は思っていたのですが、
海外で家を探すという行為はこんなにも疲れるのか?
・アメリカ渡航歴は10回以上はあり、ある程度は海外に行き慣れていると思っていたが
それは勘違いであり、新天地での文化に心身がまだ慣れていないのか?
・今回のバンクーバは友人や家族、現地での知り合いもいないため、孤独感を感じているのか?
私は少し考えましたが、疲労はごく自然なことで新しいことを始めたり、
新しい場所に身を置くということは誰でも疲れることなんだろうと
その時はなんとなく流してしまいました。
しかし、あることをトリガーに私は気づいたのです。
皆様にはこのグローバル社会の中で、
外国人の知り合いや友達が何人かいるかと思います。
私も同じです。
そして、彼らとは日本であれば日本語を使いコミュニケーションをとり、
日本語が苦手な友人であれば、必然と英語での会話になるかと思います。
そのような外国人の友達について、彼ら良い友人であり、
自身の中に人種の垣根など存在しないと思っているかと思います。
それが一般的なことで、私も同じように考えておりました。
しかしです….
私は無意識に彼らを外国人として認識して
その認識が自身の中で無意識に防御反応として働き、
自分で壁を作っているのではないかと気づかされました。
もちろん日本と比べて海外の治安は比較的に悪い場所が多く、
人を信用しすぎないことや
気を張ることはとても重要なことの一つです。
ただ、そのこととは別に
私にとって彼らは外国人だ!という意識を持っていないつもりでも、
文化や言語、思想や見た目の違いによって
無意識に私は外国人意識を彼らに保持しており、
同じ人間であるのにも関わらず、
何か距離をとっていたんだなと気づかされました。
また、日本に比べてカナダにある建物の一つ一つはとても大きく、
その大きさにただただ圧倒をされていました。
しかしそれもまた、自分の中でその建物の大きさを
無意識にさらに大きくして見ていたとも気づかされました。
「人間は人間であり、建物は建物である。」
そのことに気づいたとき、私はバスで隣に座るメキシコ人のおばちゃんが、
日本のおばちゃんと同じ暖かさに感じたり
大きな建物の塊が、
練馬にあるような集合団地となんら変わらないじゃんって気持ちに変わりました。
自身の無意識に気づけた瞬間だったと思います。
そして、意識的でも無意識であっても、
相手や物体を勝手に大きく捉えて、怯えるのは自分自身なんだなと
今回の件で少し理解しました。
また、結果として、それが疲労の要因の一つであったこともわかりました。
多くの方が、何言ってんだよコイツって思う方かと思います。
中々、心情的な部分って言語化して話すのは難しいなとこの文を書きながら感じております。
要約すると「無意識って怖いな」「物事を勝手に大きくしていくのは自分の心情」って話です。
そして、それに気づくとまた見える世界が変わるなぁと思った所存でした。
本日は以上となります。
Thank you.