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大阪名物 グリコの看板
『2023年9月14日』阪神のJERA セントラル・リーグ 優勝で大阪は熱狂のルツボとかし、恒例?の道頓堀ダイブもありました。
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グリコの看板
戎橋から道頓堀の水面を眺め涙したこと、喜びを噛みしめたこと、こんな人々の喜び悲しみをグリコの看板は見守っています。
そんなグリコの歴史を振り返ります。
初代
昭和10年(1935年) に初代グリコネオンが 大阪道頓堀川、戎橋のそばに立ちました。高さ33mを誇るネオン塔は、トレードマークのランナーとグリコの文字を6色に変化させ、同時に毎分19回点滅する花模様で彩ったものでした。当時としては型破りのネオンで、一躍大阪ミナミの名物となりました。
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二代目
初代ネオン塔は、戦況が厳しくなった1943年(昭和18年)鉄材供出のため撤去されたが、戦後の1955年(昭和30年)、2代目が再建されました。
ネオン塔は砲弾型の下部に特設ステージを持つユニークなもので、そこでは人形のワニ君がピアノをひいたり、人形劇を演じたり、ロカビリー大会を催したりしました。
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三代目
1963年(昭和38年)に3代目にバトンタッチ、噴水ネオン塔になりました。12トンの水が、トレードマークの中心部にある150本の水車状のノズル(高さ18M、横8M、2層からなり左右に回転)から噴き出し、12色のランプ400個が噴水を照らして、きれいな虹の模様を描きました。落下した水はまたポンプで上のタンクに戻す仕掛けになっていました。
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四代目
1972年(昭和47年)に高さ17m、横10.85mで建設されました。バックになっている陸上競技場のトラック部分を点滅させ、トレードマークのランナーに躍動感を持たせたネオンでした。このネオン塔は、日没から午後11時までネオンが点灯し、競技場の中央コースからゴールインするランナー姿が川面に映え、看板を背景に記念撮影するほどの名物看板になっていました。
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五代目
隣接するビルの改装に伴い、1996年(平成8年) 1月21日に消灯し、その翌日から一時撤去していた大阪道頓堀のグリコネオンが、1998年(平成10年) 7月6日、約900日ぶりにデザインも新たに復活しました。
江崎グリコはビルを区分所有し、ネオン真下の土地も持っている。維持費はメンテナンス代と月約16万円の電気代だけだが、経済効果は計り知れないとのことです。
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