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#希望のまちをあきらめない

先日、理事長のインタビューを受けた。

「あなたにとって抱樸ってなんですか?」

突然のことだからとりとめのないことをしゃべってしまった。
ぜひ使わないでいただきたいと心から願う。

さて、僕は普段Noteで面白記事(自分しか思ってない)を上げている。
今日の朝は、躁というかハイなので抱樸に関する記事を書こうと思う。

時間がない人は③だけでいいです。①②④は僕と会ったときに倍のボリュームでお話いたします。


①僕と抱樸との出会い

僕の抱樸との最初の最初の出会いは小学3年生か4年生ぐらいだったと思う。母に連れられ生協の催しに行った。そこで「生笑一座」という人々に出会った。
座長 蛤浜牡蠣衛門(表記はこれであってるんだっけ?)率いる人生の酸いも甘いも吸い尽くした、「人生のプロフェッショナル」と出会った。

印象に残っている場面がある。
N師匠とアルミ缶とスチール缶を時間内に正確に分ける対決をしたのだ。
このとき蛤浜座長が「やりたい人!~」と募ったので手を挙げた。
このころ僕は変な有能感を抱いていたころだった。学校でも自分だけが特別な能力を持っているのだと思っていた。(所謂、中二病。発症がやや早いが、、、)

だから、アルミ缶とスチール缶を分けるぐらいお茶の子さいさいと思っていた。
結果はどうだったかというと、僕はアルミ缶とスチール缶を逆に分けていた。
アルミ缶のかごにスチール缶を、スチール缶のかごにアルミ缶を。
それぞれ合ったかごに入れていた缶もあったが、7割ぐらい逆にしていた。

「逆やないかい!」
この時の座長の関西弁のトーンの声はいまでも覚えている。

対して、N師匠は完璧にアルミ缶とスチール缶を分けていた。

純粋にすごいと思った。
もちろん、アルミ缶かスチール缶かの表記はシールで隠してある。銘柄も同じものだ。(確かスーパードライじゃなかったかな?)

ホームレスのおいさんたちを浮浪者や野良人間という人もいた。
学校の先生は「ホームレスと呼んではいけません」と啓蒙していた。
「路上で生活している方と呼びなさい」と教えられた。

だけど、このN師匠との出会いはそういう身近な大人が教えるイメージを壊した。
後に理事長が「野宿のおいさんたちはある意味自立した人たちですよ」と言っていた。
僕はその通りだと思った。

行政サービスにも頼らず、家も自分で建て、捨ててあるものやN師匠のように缶を売った極々わずかな(確か1つ1円もしなかったはず)お金だけで生活しているのだ。僕よりもはるかに大きく自立した大人のはずだ。

そういう出会いから10年以上たち、僕は再び抱樸に関わることになる。
このことはまたいずれ書こうかな。

②赤の他人が家族をしたっていいじゃない

さて、話をさわりに移しますが、そういう自立した大人にも種類があると思う。
僕の父親のようにサラリーマンとして働き、持ち家があって、パートナーがいて、子どもが二人いて、同僚も友達もいて、親兄妹とも仲がいいという経済的にも社会的にも豊かな大人もいれば、
野宿時代のN師匠のように、公園で遊んでいる子どもにも話しかけるのはばかられ、本来憲法で保障されるべき生存権すら犯されている大人もいる。

どっちも自立した大人なのに、”つながり”があるかないかで扱われ方がまるで違う。

なんかキモチワルイ。すっごく不公平感がある。
このキモチワルさは結構、僕の過去の闇と共鳴する。
学校でカーストに分けられ、疎外されていた僕の怒りと共鳴する。

でも、抱樸に関わっていると、なぜか共鳴は減る。(ゼロにはならないのがまた不思議なところ)
音叉をギュッと握ったら音が止まる感じ?
でも、抱樸の現場も現実の一つなので、また音叉は叩かれる。

握る人がいる。叩く人がいる。
握るのも種類があって、手を優しく握ってくれる人もいれば、肩を握る(揉むか、、、)人もいる。叩くのも、肩を叩く人もいれば、頭のど真ん中、脳みそのど真ん中を叩く(突くかな、、、)人もいる。
100人いれば100通りの握る・叩くの人がいる。

そうすると、音叉は自分の音を鳴らすことができる。しっかりと狂いなくドとかミとかソとか鳴らすことができる。
この3人が集まれば、なんとCというコードが鳴らせる。

もしかしたら抱樸ってそういうところなんじゃないかなって思う。

だから、僕にとって抱樸は
”自分の音を鳴らしてくれる人がいるところ”=”自分が有用であることを確認できる場所”
なんじゃないかなぁ~と思う。

最初は自分一人では鳴らせないかもしれない。だけど、全人格的に関わってくれる人がいると、自分の音が鳴らせるようになる。

原木の荒木をまずは抱く。
その次に一生懸命、削ったり磨いたりしてくれる人がいる。
そうすると、気づいたら立派なイスになっていたり、お箸になっていたり、楽器になっていたりする。

もちろん、荒っぽい人もいるし、理解に時間がかかる人もいる。
いかにも人格者っぽい人であってもすれ違いは起きるし、役割を任されれば疲れもするし、普通に病気になる。
抱樸はある意味の”痛み”も同時に抱かなければいけない。

お気づきの方がいるかもしれないが、そういう集団は、所謂家族なのだ。
カツオくんはサザエさんに叱られるけど、タラちゃんには尊敬される。
だけど、今の日本は叱ってくれたり、褒めてくれたりする家族が減っている。
僕のお父さんやおじいちゃんの世代は磯野家が主流だったが、僕の世代は野原家すら減少傾向にある。
2022年度の調査では単身世帯が32.9%でもっとも多い種類の世帯構成だ。
今後は単身世帯が増えていくとされている。

困ったね。
でも、僕は気づいた。身の回りにいる元野宿のおいさんたちは優しいおじいちゃんだし、抱樸の職員さん・ボランティアさんたちはお父さんやお母さんのように関わっている。
自分はあやされたり、優しくされた経験が記憶になくとも、赤の他人の赤ちゃんをあやせるようになる。

路上で出会った人の名前を絶対忘れない人もいれば、仙人のように白いヒゲを生やし畑で困難を抱えた人と汗をかいている人もいる。
毎月、誕生日のはがきを何十枚と書き、病気で倒れればすぐ駆けつける人もいれば、犯罪を犯しても、見放さず、なお全身全霊で抱きとめる人もいる。
母親のように叱り、道を正してくれる人もいれば、少し話しただけで心の力みを緩ましてくれる人もいる。

③そんな人が「いる」”まち”がなんと、北九州市小倉北区神岳にできます!!!!!

これを書いている時点で残り19日、なのに50%超えていません><
1000円から応援でき、豪華著名人からのプレゼントがある種類の寄付もあるクラウドファンディングです。
僕は朱さんのを狙っていましたが速攻で終わってました。(ガビーン)

月一回、スタ〇に行ってフラペチーノを飲んでいる方、2か月我慢してください。
マッ〇に行って「あちゃーLLセットにしてしまって1000円超えちゃったー」って方(いつもの僕)、一回我慢してください。
特に北九州市民の方は最近到津の森前にも門司港駅舎にも〇タバができ、戸畑にも新しい〇ックができました。僕はいつも誘惑に駆られています。
しかし、希望のまちは、ミシュランシェフのレストランもできます!あの神岳の「工藤会本部跡」にですよ!!きっとビッグマッ〇LLセット×100ぐらいのおいしいランチが食べられるはずです!
ついでに副理事長のバイオリンも聞けたら最高ですよね!
僕は希望のまちレストランでディナーデートしたいですね!!(彼女いないですが、、、)

他にももっとワクワクするコーナーができるそうです!
詳しくは↓の理事長の早口動画をご参照ください!
8分です!

④最後に(あとは見なくてもいいです。)


僕は人文社会科学系の研究者になりたいなぁとじわりじわり思っている。
大学で専任教員になるのも惹かれるが、希望のまちのコワーキングスペースで現場にいながら在野研究する日常にもあこがれる。おいさんたちや全国から来る人たちや地域の子ども・若者と一緒に研究出来たらいいなぁ。

奥田理事長は8分動画の最後の方で「私はどうしてもこのまちをつくりたいと思っているんです」と言っている。
僕も100%同じ気持ちだ。
希望のまちが僕の希望。

#希望のまちをあきらめない

どうか応援よろしくお願いします。

一介の大学生 新谷春陽

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