餃子の魅力

特に理由もないが、餃子の魅力を書いてみようかと思う。
2022年自分は餃子とサウナにはまった。
静岡の浜松に行った際に浜松餃子を食べ、そこでどっぷり餃子にハマった。

浜松餃子とは円形に餃子を皿に盛り付け、中心にもやしを乗せている餃子である。具材はニラ・キャベツ・玉ねぎ・豚肉など至って普通である。この浜松餃子をおいしくする極め付けはタレとこのもやしである。具材と特徴としてはこんなところであるが、浜松餃子の定義は、浜松に3年以上在住しており、浜松で製造される餃子を指す。

また浜松餃子の美味しいところは箸休め的に食べれるもやしと絡ませて食べることに加え、タレである。浜松はスズキ・ホンダ・ヤマハを生み出した土地であり、「やらまいか精神」というチャレンジ精神に溢れた職人の街である。浜松餃子にもその精神は根付いており、浜松での餃子屋にいくとタレを自作しているお店が多い。実際に自分のいった店でもラー油を多めに作っていたり、醤油やお酢など普通に餃子のタレとしてイメージするものがなかったりこだわりを感じる店が多かった。
そして確かにそのタレは餃子によくあった。野菜が多めの具材たっぷりで皮がパリッと焼けた餃子をそのお店こだわりのタレにつけて食べる。シャキシャキっとした野菜の食感と肉汁の旨味にタレのピリ辛が絡みつき、いくらでも食べれてしまう。餃子を食べてハイボールを飲み、合間に甘みを少し感じるシャキシャキしたもやしを食う。この無限ループは本当に美味しい。

確か浜松で見たお店では、ラーメンはサブであり、餃子定食が多くあったのも印象的であった。

さあ、そうした餃子であるが、私が好きなのはこの浜松餃子だけではない。社会人なりたての頃から3年以上出張していた大阪。そこで食べたひとくち餃子。これもとても美味しかった。

博多にも博多ひとくち餃子というものがあるらしく、それもいつか食べてみたいが、自分が食べたのは大阪ひとくち餃子。天心という北新地にあるひとくち餃子専門店である。その店はメニューが焼酎・ビール・餃子と漬物というこだわりっぷり。これが本当に美味かった。

そもそもひとくち餃子とは何か。読んで字の如く一口で食べれる餃子のことである。通常の餃子は8-9センチほどあるのに対し、このひとくち餃子は4-5センチほど、約半分。女性も子供も一口で食べれるサイズである。サイズが小さいので入る具材も少なく、ニラと肉が少々という感じである。そこにパリッと焼き上げられた皮がコーティングされる。これが異様にうまい。

このように餃子にはさまざまな種類があることを学んだ年であったし、宇都宮餃子なんかもまた食べてみたいと思う年であった。こうした餃子をサウナで汗をかいて整った後の身体にビールと共に流し込むのは至福のひと時である。自分もおっさんになったなあと感じる。そしてタレは柚子胡椒が個人的には一番好きである。オリーブオイルと塩やワサビとか変わり種はいくつもあると思うが一番うまいのは柚子胡椒である。それは譲れない。ピリッとした刺激が肉汁と合間う感じ、一度経験したら戻れなくなる。

さて、そうした餃子であるが、起源はどこにあるのだろう。そして今後ブームが来たりするのだろうか。浜松ではメインとしての座を得られているがいまだにラーメンや炒飯の脇役としての定位置に追いやられている餃子。彼に主人公としての市民権が与えられる日は来るのだろうか。どんな仕掛けが必要なのであろうか。

まずは歴史から紐解いていこう。早速検索を始めてみる。そうすると思っていたより色々なまとめやyoutubeチャンネルがある。ニッチだと思っていたことを調べたらこんなに色々な情報がすぐに出てきて驚いている。

諸説はあるが、餃子の起源は紀元前の山東省から始まった。そして中国では餃子といえば水餃子である。そして、餃子は主食であり、一緒に米を食べることはないらしい。なんと餃子は中国ではすでに主人公であったのか。。。そんな餃子が日本に入ってきた時には焼き餃子になった、それは日本では鉄板文化があり、鉄板で焼いたため焼き餃子がメインとなったらしい。
また中国から日本方向ではなくシルクロードを上がっていくとブータンではモモ(羊の肉を包んだ餃子)になったりイスラム圏の文化などを取り入れその地域それぞれに進化していった。ドイツのシュヴァーベン地方というところではマウルタッシェと呼ばれる形態の餃子も生まれたらしい。この地方の方言で「神を騙す小さなもの」と呼ばれるこの食べ物。なんでも修道院の人たちが修行中、肉を食べられるのを禁じられていたがその戒律をパスタの中に肉を挟めば神にバレないとして始まったらしい。

このように人間の欲望と地域の特性を活かして独自の文化が進化していく様を餃子を通じて感じれるのは面白い。

中国では、水餃子や蒸し餃子がメインであったが、日本に伝来した際には焼き餃子になったこと、中国では酢醤油がタレとして主に使われ、米と一緒に食うことはないが、日本は米食の文化なので米に合うように炭水化物の餃子が脇役になれるようにタレにラー油を加えたなど考えてみると面白い。味が美味しいだけでなく、歴史や文化に照らして考えるとこんなに味わい深い食べ物であったのか餃子。すごいぞ餃子。開けてみたら肉汁だけじゃなく情報が色々出てくるではないか。

餃子が日本に伝来したのは江戸時代に水戸黄門が初めて食べたらしい。その後明治時代に肉食が許可されるようになってから広まり始めたらしい。(江戸時代までは仏教の影響で肉食が盛んでなかったことは驚き)
そして今のスタイルである焼き餃子になったのは第二次世界大戦の頃であった模様。満州に出兵していた日本兵が向こうで食べていた餃子を日本に帰ってきた後、餃子を日本に持ち帰ったらしい。その先駆けのチェーン店が珉珉(みんみん)らしい。

なるほど。餃子はこれからブームになるのかとか考えたが、餃子の歴史は人類の進歩と同じくらいの歴史がありどんどん進化している。

この直近でブームになって去っていくような食べ物ではなくもはや揺るぎないポジションを世界各地に展開している。

こんなすごい食べ物だったのか餃子。

というか食べ物ってすごいですね。小さい頃から当たり前のようにお腹が空いたら食べることをしてきたし、スーパーに行けば食べ物が必ず買える。それも調理されたもの、具材を混ぜ合わせた料理が当たり前のように手に入る当たり前のもの。だけどそんなに当たり前なことではなかったんですね。

食べ物がいま目の前にある形にはちゃんとしたストーリーがあるし、その地域特有の文化に合わせて独自に進化してきた。日本にいる今自分の目の前にある食べ物はこの日本文化をもとに育ってきた。餃子もその一つであり発酵食品の納豆や漬物なども日本の独自文化として育ってきている。そうした歴史や文化の厚みに思いを馳せることができる。こんなことに気付ける文章作成は素晴らしい。

衣食住と各地の掛け算でそれぞれを見てみることも面白いと思うし、過去現在未来に思いを馳せることもできると思う。

この方向での深掘りはとても面白いと思う。例えば食に関して今の点を理解できるすることはできる。浜松餃子が浜松餃子たる所以とそれを食べた自分の感動を綴ることもできるが、歴史を紐解いて餃子の歴史を学ぶこともできる。また今の世の中の流れを読み取り、旨味についての研究がどこまで進んでいるかや気候変動に伴う食の生成方法の変化についてなど今の知の最先端を垣間見にいくこともできる。

書きことは面白い。こうした自由研究的な文章をどんどん書くこの方向性は面白そうだ。


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