千葉に来てもうすぐ2年。さて、次の2年をどうするか…。
今年も11月になった。
っというわけで、地元の不動産屋から「アパートの継続契約のお知らせ」が届く。
あ~、来年早々、もう2年が経過するのか…。
この2年、何をしていたのか?
最初の半年はブ~ラブラしていただけだが、その後の1年半は、また新しい世界と出会って、ワサワサしていたな~。
千葉に住んでみてどう感じたか。
ぼくの人生の中ではほぼ90%以上が東京在住だったわけで、
千葉県の中部に住むなんて、想像もしていなかったから、
大いに驚き感じるところはあったわけだが、
幸いにして、その驚きは“良い印象”によるものだった。
これまでの“自然”という言葉に持つ印象をずいぶん変えてくれた。
東京の自然は、それこそ奥多摩の方まで行かない限り、必ず人間の手の入ったもので、“危険”を感じるものは皆無だった。
しかし、この辺りの自然は、以前多少人手も入ったことはあるのだろうが、今は本当に“野放し”になっている深い森が数多くあり、
大の大人ながら、入っていくことが怖くなり、回れ右をした経験が何度もあるのだ。
先程も「上高地」の風景を写したYoutubeを見ていたが、何か家の近所の映像を見ているような気にすらなってしまったwww.
むしろ、観光地化された上高地よりは、全然深い森が身近に数多くあることを確認し、ちょっとびっくりしたもんだ。
もちろん、“そうでない上高地の自然”もあるのはわかるのだが、観光のために遠くまで行く必要がない、という気持ちにはなった。
いろいろご意見もあろうかと思うが、あくまでぼくの感想だ。
それからもう一つ気がついたこと。
「どこでも生きていける」
ぼくの本業は何?と問われてもよくわからんくらい、ぼくはいろいろなことで稼いできた。
でもまあ、一番多く稼げているのが「IT関連」の仕事だろう。
そしてこれらは、今やどこにいても稼げるから、住む場所を気にする必要はなくなりつつあるのは皆さんも実感していることだろう。
ただ、世の中やはり“最先端”があれば、“最後端”もあるわけで、ようやくネット環境が入ったばかり、とか、職場の10人で1台のPCを共有してます、とか、ケータイは未だにガラケーしか使えません、とかいう場所も数多く残っている。
そういう場所に行けば、ぼくのような“全身デバイス人間”は重宝される、というか“神”だwww。
来年は65歳になるぼくに対し、PCやスマホのこと、インターネットのこと、会社運営の合理化/省力化、高収益化など、経営のことなどを聞きに来るし、それがあっているかどうかも判断ができず、鵜呑みにするしかないと思っている人ばかりだ。
ぼくは、役に立っている、と思える。
ここらへん、勘違いすると不味いから、いつも心の何処かでブレーキは踏むようにしているし、世の中がもっと進めばそういうことも減ってくるだろうから、いつまでそうなのかはわからないが、マーベリックではないが、いずれそうなるにしても「それは、今じゃない」のだ。
この2年で、これまであった“借金”はなくなった。
後はその都度、できる範囲で生きていけばいい。
子供が来年結婚するらしいが、その時はそれなりのことをしてやるし、
今後子供が生まれたりしても、やはり“出来ることをする”だけだ。
決して無理をして大きな借金を抱え込むようなことは、する必要がない。
いや~、楽になったw。
今の職場に来る時、その時の面接官だった現在の上司が言った言葉。
「後は、社会奉仕ですね」
安い賃金で高いレベルの仕事をする、という意味かな?とその時は思った。
そして今は、ちょっと違うかな、とも思っている。
第一の動機が“金がらみ”ではなく、やったことの結果として金が付いてくるのが、本来の姿なのかな。
さて、今この先2年のアパートの契約書を前にして、いろいろ考える。
この契約書にサインをして、後2年、ここに居続けるべきか、はたまた次のステージを目指して別の場所に旅立つか…。
正直言えば、ぼくが今この場を離れることは、そして更に東京から距離を置くことは、ぼくの周りの誰もが望んでいないということはわかっている。
でも、もし他の地で、ぼくのような人間を欲している人がいるとしたら、
それを放っておいてよいものなのか?
ぼくもこの場所にいついてしまって、ここで生涯を終えてしまって、良いのか?
歳はとっても、いつまでも選択は訪れるものだ。
人生は、まだ、続く。