僕はどこかに僕を殺してくれる人が欲しいだけなのに【作品まとめ】
割引あり
世の中に溢れるコンテンツたちは、総じて存在することを肯定しようとする。
例えば、切り抜き動画。
字幕をつけたり、効果音をつけたり、その場面に起きた事柄を印象づけようとする。その事が起きたという肯定をしようとする。
はっきり言って気持ちが悪い。死んで欲しい。
念の為に言っておくが、何も、コンテンツの造り手が死んで欲しい訳では無い。
コンテンツの造り手が使用する手段が、コンテンツに対して肯定的なものであるという、手段に対する嫌悪だ。
思考停止をしたまま、そういったコンテンツの肯定を行う行為が、……。
例えばコメント欄。
あなたの動画を待っていました、だとか。かわいいですね、だとか。
可愛いというレッテル貼り、ラベリング、形式化。
コンテンツのどれもこれもが似たりよったりで、形骸化していくのだ。
もう、いい。コンテンツはもうやめよう。
こうしてコンテンツについて真面目に語るコンテンツも、もうやめよう。
でもこうして真面目に書かないと誰も理解してくれない。
だから、全部終わり。
これからは自然主義で、添加物のないものだけを摂取して、それも嫌になったら……もう死ぬしかねぇ。
誰か俺を殺してくれ。……でも、誰かに殺されて万が一新聞にでも載ったら、それもコンテンツとして消費される。
カスがよ。死ね。コンテンツ死ね。POP死ね。消えろ。
二度とこの記事を読むな。
さようなら。
まあ、「死刑で沸くな」はそうだけど、
かといってエミネムみたいに"国会で沸いてる"のもどうかと思うから、
いや~~。「人間て、おもしろ……。」
ってことだよな。
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