揃える揃えないで揺れるぼくら#1
「多様性」という言葉は今では様々な場面や場所で聞かれるようになりました。
ニュース、歌、ドラマの中にも影響しているように感じます。
もちろん、学校現場にも…。
そんな多様な子どもたちと日々向き合う私たちは、どのようなマインドで、そしてどのように過ごしていくべきなのでしょうか。
今の私の感じていることをつらつらと書いていきます。
1 揃うから「悪」とかじゃない。その先へ。
わたしの初任時代。
初任校は生徒指導上難しいとされていた学校でした。
ハサミが階段から落ちてくる、机が廊下にある、教室に入れずにソファーで待っている子がいるような学校でした。
そこで、教師が出したのは「○○スタンダードの徹底」でした。
中学校区で学習や生活のきまりを揃えていくことで、どの学校でも同じ指導を目指していったのです。
初任時代の私は「そういうものなのか。」と受け入れ、取り組んでいました。
今、考えればそのようなアプローチはしないと思います。
しかし、その当時の現場の先生方はそうせざる負えなかったのかもしれません。
多様な子どもたちが過ごす中で、全員の子どもたちの命を守り、学びを保障する責任が教師にはありました。
どうにかこの状況を改善するために知恵を出し、よりより学校をつくるために必要な項目を挙げていき、やることが大切だと考えたのかもしれません。
もちろん、教師から一方的に提示された「きまり」などの言葉は子どもたちへは響きづらい物でした。
さらに年数が経てば経つほど、できた時の思いを知る人は少なくなり、ただ「○○スタンダード」の掲示物だけが残っていきました。
「揃うことが悪である」ような言葉を時々耳にしますが、私はそうではないと思っています。
私が勤めた学校のように、きまりが生まれた思いを伝えたり、きまり自体をみんなで考えて決めていないことが良くないように感じています。
2 一回枠を外してみる
そこから数年。
学校を転勤した私は研究主任となり、中学校区の「学習のきまり」を考え直す役になりました。
もともとあったきまりは10個。
「これは、あの時と同じになる…」
そこで子どもたちと考えてみたのです。
「この10個のきまり、全部言える?」
「言えないよ!」
「そうだよね~。~~って書いてあるんだけど、特に大事にしたいのは何個くらい?」
「5個くらいかな」
子どもたちの言葉をもとにきまりを減らし、子どもたちでも分かる言葉に直しました。
そして、職員会議で私は
「このきまりは、ラミネートしないでほしい。なにか、子どもたちと振り返ったり、考えたら書き込んでください。途中で、クラスでアレンジしてもいいです。きまりって変化するものです。」
と伝えました。
学習のきまりを一緒に作り直したことで、よりきまりについての意識が強くなりました。
そして、5つあるきまりの奥底にある「みんなが安心して学べる空間」をつくろうという気持ちが大きくなっていきました。
3 おわりに
今までの枠を外し、作り直すことは勇気が入ります。
しかし、思い切ってゼロにしてみることで子どもたちが介入できるスキマが生まれます。
そのスキマを子どもたちやほかの先生たちと一緒に考えることでよりよい学級や学校を一緒につくっていけるのではないでしょうか。
これからも教師と子どもが真反対を向いて過ごすことのないような教育現場をつくっていきたいです。
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