回顧34w6d
2歳のおんなのこと遊んでいたら、
「コドモは、って一括りにして異星人扱いをあなたはしてきたけれど、実際接してみたなら対人間でしょう単純に。そして私みたいな幼子が可愛いのは、あんたが思い込んでいる媚びているからだなんていう屑みたいな要素のせい等ではなくって、もっと裏の無い素敵で感覚的なものなのです。」と彼女は言いました。
あと1ト月で私が人間を育てる係になるという非日常と日常。
私のおうちはコン・ゲーム的でたらめ不思議家庭だったのだし、おかあさんはよそのひとから児童保護施設に通報されちゃう様な女の人だったので、私には何ら参考にはなりません。アイドル志願の高校生の様に私には、本来お嫁や母親になるだなんて妄想と夢の世界だけの非現実的な未来だ。
と思っていたのだけれど2年位前から、万が一自分にこどもが出来ても悲劇的な顛末にならないように、よその親子を観察したりジャッジしたりをしてきたのだ。それから私と共同生活や生殖をしても崩壊しない人かしらって勝手にこの人のことを観察してきたのだ。
でも結局は、どんなに最初に慎重に選択をしたり努力をしても、完璧にうまくゆくかどうか未来は秘密なのです。
そして去年の終わりに、しがらみの溶解だとか自分の幼児期をネタに制作だとかをして、だからきっとタイミングが素敵で、
そして魔がさして御懐妊。
次の日あたりに気付いて相手に覚悟を促したので、むこうはきっととても狼狽えただろうけども愛とかなくて賭けなのはお互い様。
で経過
私の中に人間がいて動いていても、実際は出てくるまで人間として認識出来ません。
自分の腹撫でても子供が可愛いのかお腹の皮膚が可愛いのかが判らなくなってくる。そしてもし無害な寄生虫を腸内で育てたとして、10ヵ月なんて共生していたら矢張り今と同じ様に愛着って湧くのじゃないか?と考えている。実際、産んで人間の形をしていたら、当たり前の事に対してまず驚いてしまうと思います。
でも初めて世界に出てきた新生児には勿論私に対する悪意なんて無く、それをずっときちんと解っていれば、子供はきっと可愛いのだと思う。
2006