さようならこんにちは
こういう出来事はなぜだか立て続けに起こる気がするのだけれど今回もまた‥‥‥
自発的に断絶/、死を選択する人達は、まあ知らない人の例は知らないけれども、皆ぽろっとあっち側へ行ってしまいます。
死にたい死にたいと言ってる人はどうせ死ねないだろうと見縊っていたらのたれしんでしまったあの人、窓からいつもの様に真咲ちゃーーんと酔って手を振ってくれてる慢性自殺志願者の突然の成功、脅しに堪えかねて猛スピードで発作的に車で突っ込んでいったあの真っ当そうな人、おくすりの飲み過ぎでひっそりぼんやりいつのまにか‥のあの人、みんなぽろっとだ。
踏み止まれるかどうかの違いって精神的に強いか弱いか?
しかも私は、以前はその人達の確固としたアイデンティティを知っていた筈なのに、居なくなっちゃうと急に目の前に壁を作られたように、一様に自分で死んだ人、っていう無個性な括りに感じて誰が誰で何者だったのか解らなくなっていってしまうから、彼らが人に強烈な記憶を残したくてそうしたなら残酷な失敗だけれど、きっと多分そんな事はひとつも頭をよぎらなかったのじゃあないかしらね‥
そして今回の例はまた別の感慨なのだけれど、2歳児をおいてこの母親はなくなったので、色々考えるべき事はあるのだけれど、母は強しとかそういう類の語彙を考え無しに使う人が普通に居ると思うと恐ろしくなるの。あるところに精神に混乱をきたした母親がいてこどもを生死の崖っ淵まで放置/虐待の挙句結局無事に立派に育てて、私はその人の一部にすぎなくてもよく知っている、けれど矢張り彼女の事を強いと面と向かっては言いたくはないな。
この前、きのう?私の事を精神的にタフだと評してくれた人がいて、でもその人はデリカシー有る人だから、私は何となく、これから先も倒れずにやってゆけるような気がしたんです。
2006
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