奴隷のしつけ方
ちくま文庫から『奴隷のしつけ方』というのが出ていて気になっている。
そこで奴隷のしつけ方をYouTubeで検索してみたら、この動画を見つけた。
聴いてみると、奴隷という概念から遠ざけられた奴隷が存在することを感じる。そういう感想をもつのは私ひとりに限らないだろう。
この徳の高い(?)飼い主は、強制して奴隷を労働に駆るのではない。寛大な飼育者を演じることで奴隷は居心地のよい奴隷生活から自由になろうとは思わなくなるのである。
さて、このなかで特に感銘を受けたのは13:20あたりからの「奴隷にとって最も恐ろしいもの」として解説される宗教=キリスト教のくだりだ。
既存の宗教に属しないということは、世界の解釈が違い、よって価値観が違ってくるものだ。宗教というのは世界の捉え方であり生の捉え方にほかならない。
キリスト教は「神の下に人々は平等」とふれまわったとある。これは従来の宗教が奴隷を奴隷として位置づけることに正当性を付加し、主従関係を固定していたものが、主人より高次の仕える対象があるといって奴隷解放が行われたということだろう。
(例によってキリスト教については不勉強である。話半分に読んでください)
既存の宗教=価値観からの解放という役割が当時のキリスト教には具わっていたとみることができる。使われることは理不尽なものとして再解釈される。これが怒りというよりは信仰という態度でもって行われたというニュアンスは面白い。
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