障害はどこにあるのか

(書くことを思いつかないので、手遊びにLINEのタイムラインに投下したのを転載しようと思う。そう、LINEのタイムラインでもこんなことを書いているのだ。)

"発達障害"という名称がもつ誤謬性については、思うところがある。障害者を“障碍者”と漢字を当てなおす案や、“碍”は常用外漢字なので“障がい者”とする案などあるが、漢字だけいじってもなという気もするし、障害でいいと思う。

障害の所在について言及されているものを読んだことがないけど、名称の誤謬性はこの所在にあると思っている。

たとえば最近、中東文化は発達障害的特徴がみえるという言説を聞き齧ったんだけど、発達障害的文化にあって、発達障害に障害はあるのかということで、障害の所在は属する社会文化との接続不良そこにあると思う。

つまり障害は障害なわけで、ただその病的性は社会との関係のなかにあり、障害者に内在的なものではないし、社会に内在的なものでもないと。関係不良が障害。これは発達にかぎらず全ての障害にあてはまり、なんなら病気全般に亘っていえると思っている。

発達障害を非定型発達と呼称する場合がある。私はこの呼びかえに賛同的だ。発達障害者の側からみたいわゆる健常者を定型発達症候群と呼び、皮肉的に健常者を“病化”して、認知の相対化を図って生まれたという経緯がある。

定型発達症候群とは、神経生物学的障害であり、
対人関係への没頭、
優越性の妄想、
協調への強迫観念を特徴とする。

定型発達の人々は、
自分自身の経験が唯一正しいものとみなしがちである。
一人でいることが難しい。
他者との小さな差異に不寛容である。
集団でいるときは対人面や行動に柔軟性がなく、
集団のアイデンティティを維持するために非機能的、破壊的で、不可能でさえある慣例に従うべきだと主張する。
また直接的なコミュニケーションをとることが苦手で、
自閉スペクトラムの人たちに比べて嘘をつく頻度が高い。

と説明される(参照元 http://www1.nhk.or.jp/asaichi/hattatsu/about_nt.html )。平均的な発達者(健常者)をそのまま病化してみせた、ということだが、実のところ平均的とはいえその発達度を個々に見ていけば、グラデーションをなしている。このグラデーションは地続きに発達障害にまで到達していて、全人類をおおう発達スペクトルをなしている。

えーと、なにを結論にもってきたかったんだっけ?
おわり。

追記:ちなみに、大学の教授などはいわゆる発達障害的特徴をもつ方が少なくないともきく。そうした人たちは選択した環境と自己との適合した関係を結んでいる、といえ、そこに障害の文字は生まれない(彼らを発達障害と診断することは可能だろうが、診断することに意味はない)。たぶんYouTuberなど見てもおそらくそうだろうという人がいるが、反社会的行動に走らない限り、社会適合しているわけで、障害の文字はやはり現れない。こういったことからも、彼ら(環境と適合した非定型発達者)までカバーする意味で非定型発達と呼ぶのが妥当だろうと思う。そしてそのなかに、環境不適合によって非定型発達者と彼に対する人また環境に困難が生じている者がいて、彼らを発達障害者(発達度を原因として困難を生じている者)と呼ぶ、という感じかなと思う。

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