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磯野邸の間取りにみるヒエラルキー

以前の記事で磯野家の間取りについて考察した。

そこでは直線的に描かれる生活空間と、二度の切り返しを設けて俗世間を離れる空間設計を見出した。今回は波平夫妻の部屋と台所の位置づけを対比的に別の視点から探ってみたい。

まず波平夫妻の部屋からみていこう。

1. 庭の意味

波平夫妻の個室は前回と同様、居間に隣接している部屋をそれとする。

既にみたように、この部屋は応接間を別にして庭に面した唯一の空間である。庭には波平が世話した盆栽がのぞいているだろう。これを見やることをガラス障子(*1)が可能にしている。障子枠で小さく切り取った庭は、掛けられた絵画のように部屋を装飾する。このように庭は目を楽しませる観賞物として位置づけられている。(*2)

盆栽は庭を彩る主要な景色として機能する。

盆栽とは鉢に再現された自然である。盆栽のあの小さな木をそのようにしているのは、根の人為的制御にある。「樹木の大きさを決定するのは、根の大きさである。盆栽の場合は、あえて小さな鉢に閉じ込めておくことで、この根の拡大を防いでいる」(依田徹『盆栽』角川ソフィア文庫,2015)。そこには小さなものを愛でるというよりは、限られた空間で自然を再現し体感する装置としての性質が先立つのではないか。あるいは庭に配置することで例のガラス障子から見れば、小ささは遠近法の技巧として庭を視覚的に広いものにする効果をもつのかもしれない。

自然を取込みつつ、人為的に景色を制御するあり方が庭にはある。制御は目的をもって実行されるが、それが庭の場合、理想郷の再現とも言い換えられるだろう。かつては浄土式庭園と呼ばれる極楽浄土を模した庭があったし、芥川龍之介の短編「」に登場する次男は、家計の傾いた実家で、庭を在りし日のそれに戻すことで、かつての家を取り戻そうと憑かれたように庭の整備をした。

前掲の記事でも書いた通り世間を隔てた先の庭という、配置がもつ異界性の演出にもそれはうかがえる。庭をみることが特権ある者のみに許されているのは、フグ田夫妻の部屋にも表れている。この部屋にも庭方向の窓があるにはあるが、庭を眺めることは家の壁に遮られて適わないのだ。

2. 仏間の意味

次に仏間の配置をみてみる。これもやはり波平夫妻の部屋にある。ここには儒教に由来する先祖崇拝の意識がはたらいている。

仏間は仏壇が配置されるスペースだ。仏壇なのに儒教? と思われるかもしれない。ざっくりいうと、日本に伝来した仏教は中国を経由した北伝仏教というグループに属し、当然中国でも仏教解釈が付された。その際に儒教思想も混入したという感じだ。たぶんな。

そもそも仏教はこの世界を苦と捉え、死んでも死んでも苦しみの世界に送り返される、というループ(輪廻転生)から離脱(成仏)するというインドの世界観から出発している。まあ、古代インドのそういう一般認識を批判的に超克したのでもあるが。ともかくインド仏教では先祖を祀るという風習はなかった。肉体は本質的なものではないという認識もあるとかで、遺体に対する意識も我々日本人よりずっと軽いとも聞く。

それに対して中国では生に対して肯定的で、そのため現実主義的、功利主義的、また即物的な思考をするという。しかし個人の生は有限で、いずれはこの世を去らなくてはいけない。いずれ死ぬ自己が現実において成功を収めたり、快楽の限りを尽くしても、いつかは死んですべて失う。それを先取りすればいつでもニヒリズムへと落ちてしまう。

しかし、儒教はそう考えなかったようだ。

加地伸行『儒教とは何か 増補版』(中公新書,2015)によれば、儒教において生者とは精神的霊的存在である魂と物質的存在である魄が結合している状態と捉えられており、死者とはこの魂魄が離れた状態であるという。死後にも生きながらえる方法として考案されたのが招魂復魄儀礼というもので、死者の遺骨を廟に保管し、その遺骨に魂を呼び戻すという魂魄の人為的な結合操作のことだ。ここから遺骨のかわりに木板を形代に用いるようになったのが、のちに仏教に取り入れられ位牌になっていく。

こうして死者は招魂復魄儀礼によって生を永らえるようになった。もともとはこれを儒=シャーマンが行ったようであるが、各戸家族で行われるとき招魂儀礼の主催者はその家の長が行うようになったという。この儀礼がもつ宇宙観では、死者の魂を人為的に呼び降ろさないと死者の死後に生を延長できなくなる。すなわち、招魂儀礼が行われることがその者の生存に直結している。つまり家=子孫の永代存続が自己の生存に関わってくることになる。これは現代でも、墓守の存在の有無に気を揉む人は今日でもあるが、その観念の源流はこれであろうと思う。

この儀礼によって、先祖ー親ー自己ー子孫という血族観念が生じている。そしてこれが、祖霊の魂魄を結合するという観念から、祖霊が血族関係のある後代の者へ転生する、という観念に変容したのだという。つまり、祖霊は祖霊のまま儀礼によって魂魄を一致し続けるのではなく、魂が血族関係である子孫の魄(肉体)を得る。これによって子孫が脈々と続く限り人として転生しつづけることが可能となる(*3)。

この仏壇が波平夫妻の部屋にあるのは波平がその祖霊の管理者、そして転生を受け継ぎ次代にその魂を転生させる主体として捉えられているとみていいだろう。

3. カツオ、ワカメ兄妹とフグ田夫妻の部屋

そこからすると、カツオ、ワカメ兄妹の部屋とフグ田夫妻の部屋はどう解釈できるのか。いずれも家の外縁、より玄関に近いのだが、このことはふたつの部屋がより俗世に近いと考えることができる。それは中心的な4つの部屋が田の字に配置され、廊下を介していないことからも外部性がうかがえる。田の字の空間は各部屋同士で相互に意味関係を構築しているのだが、この相互規定の外に属している。それが廊下を挟むことの意味ともとり得る。

そこには子供は往々にして場をわきまえない(空間の意味を解しない)、むしろそれを壊しさえする、ということもあるだろうし、また子供にとって家のなかは帰ってくるところではあっても居座る場所ではなく、外へと遊びにいくものという理解もあるのかもしれない。そうすると子供部屋はより外に近い配置になる。

フグ田夫妻については同居しているとはいえ、別家族としてみられているのではないか。そこである意味では子供部屋よりさらに外部性が高い。廊下を介して繋がっているとはいえ、離れのようなニュアンスが取れなくもない。また、見張り番としての番所のように見ることも可能に思う。というのは玄関側と庭側に窓がついているためだ。玄関の脇から侵入して庭へ抜ける者を検知する防犯性を生む、というわけだ。番所をもつ邸宅において、見張り番の身分というのが気になってくるが、監視を続けるというのは労働であるから家の主立った成員に課される労役ではないような気がする。もしそうだとしたら、やはりフグ田夫妻は間取り上、家の成員の主ではありえず、子供部屋より下位である可能性すらある。まったく推測なので弱気な文末が連続しているが。

4. 家父長制

ここで一度、間取りがもっている家族成員内のヒエラルキーについて考えてみたい。

上記の通り、仏壇を有する部屋というのは家の主人を意味すると考えられる。つまり磯野家においては波平である。そのため普段の生活のなかでもっとも贅沢な位置に配置されている。茶の間には子供もフグ田夫妻も廊下を介して来るが、波平だけは直接つながっている。それは茶の間にあって襖が閉じていても、その向こうに父の気配を宿している。廊下を介して来るものは逆に客もそうであるところから雑多なイメージとなってひとつの像を結びにくくなる。

ここには家父長制の観念があるように思う。茶の間に同じく隣接している台所もやはり気配があるのかもしれない。そこで台所についても考えてみよう。

5. 暗いヒエラルキー

若干疲れてきているのだが、これを書かないと終われない。

前回の記事で玄関から直進方向に配列された部屋は生活空間であり、奥に進むごとに下(しも)へと降りていくと書いた。より人間の生理現象に近づいていくということだ。その終端は風呂場であり、垢を流す空間だ。

これには共通性による括りというのもあるとは思う。台所と風呂場は水場として共通するとともに、火場としても共通するといえる。それは水道配管の簡便化小規模化という意味もあろうし、台所が竈だった時代の名残ともみることが可能だろうと思う。磯野家では風呂はまだ薪を使っていたような記憶がある。小屋が近くにあるのは薪を入れておくためではないか。

台所はその手前で料理を行う空間だ。稀に波平が立つこともあるがこの空間のメインはフネやサザエといった女性陣だ。

こんなエピソードもあるし、またこんなのもある。

波平が台所に立つとこうなる。

なぜ波平が台所に立つとそうなるかというと、生物上の男だからというのではなく、最初の4コマにあるように「台所のことなんか」習わなかったのだろうと解することができる。社会的に台所から排除されていたということだ。このことは田舎に住んでるとよく分かる。基本的に台所でコトコト煮炊きしているのは女性陣であり、男性陣は最初からリビングで酒なんかをやっている。台所に立とう、皿運びくらいはしようと思うとそれを止めさえするのだ。まあ、それに必ずしも良し悪しを付けるべきでもないとは思うが、これによって別社会で割を食うということは実際ある。

脱線したが、このように台所は女性を主とするヒエラルキーが形成される。ただし、裏返しのヒエラルキーだ。

先ほどのように田の字の4室を見てみよう。縁側に面した2部屋が明るく聖性を有した空間で、応接間がもっとも俗世間から上空に向かって高くなっている。家の主は掛け軸と違い棚のある床の間を背中にして座り、その威厳で客人を圧倒し、客人の背後の襖は緊張感を与えもするだろう。無礼をはたらけばそちらから何が飛び出すかという想像力を喚起するのだ。

ヒエラルキーの高低で考えると、茶の間は俗世間とも通じる踊り場のような空間となり、そこを回って下層に位置する台所となる。もちろん応接間にお茶を出すときなどは直接台所と応接間を繋ぐ戸もあるのだが、おそらく客人がこのとき台所を覗くのは失礼にもあたるだろう。

このように台所は覗き見ることへ禁忌の念を起こさせる。そのことは記紀神話にも見ることができる。古事記におけるオオゲツヒメと日本書紀におけるウケモチである。どちらも食物をつかさどる神だが、その提供の仕方はというと口や尻から吐き出すのである。これを覗いた神は怒ってこの食物神を斬殺してしまう。いわゆる「見るなのタブー」のような忠告はどちらもしていないようだが、調理(?)場面を目撃することに端を発してはいる。このことについて前者の歓待を受けたスサノオにはお咎めはなかったが(というかすでに天上から追放された後だった)、後者のツクヨミはこの一件でアマテラスから勘当されている。

このように台所という空間はどこか厳かで暗い、奥まった印象を与える。そして生存の根幹である食を司る業務に就くところだ。ここが社会的に女性と強く結びついている。食物を調理し配膳する役割を負うのは、家族の中で地位が高いとは決していえないが、同時に男性らの生存の根っこの部分を掴んでいるともいえる。

以上のように、縁側沿いの部屋が上昇的なヒエラルキーを形成し、生活空間の奥、茶の間の比較的フラットな場のさらに奥へと進むと天地が逆転する下降的ヒエラルキーを形成している。

前回の記事を書きながらそういう印象を受けたのだった。

*1 ガラス障子とは障子戸の一部または全部にガラスがはめ込まれているもの。戸の中央部にガラスをはめ込んだものを特に額入障子という。柏木博+大竹誠企画『日本人と住まい3|しきり』光琳社出版,1997を参照。

*2 芦原義信『続・街並みの美学』(岩波現代文庫,2001)で日本の景観意識を「京都の多くの庭園は小規模で私的なものであり、室内より眺める景観に主眼をおいたものが多い」と書いて「内部とは独立した外部空間」である西洋の庭と比較している。

*3 招魂復魄の概念を根拠に、の概念が生じる。孝行というのは親に対し子に対して孝を実践することだが、それは対象たる親や子という他者に対して行われるのではなく、自己の存続のために行われているというわけだ。ただ、現代において孝行はそうした宇宙観、死生観とリンクを保っていわれることはないだろう。しかし、そうすると孝行は何に裏打ちされて可能になっているのか。おそらくは自明性によってであり、自明性とはそれの一般化によって、論理を消去したところに出現する。誰もがやっているから、世の中はそういうものだから孝行をし、あるいはせざるを得ない状態を出現させる。

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