リメンバー・ミー
映画を見ました。
ピクサーの「リメンバー・ミー」
以前、「世界・不思議発見」でメキシコ死者の国特集で見て以来、気になっていた作品です。
いやー久しぶりに映画で泣きましたね。
(ネタバレで書きます)
私が受け取ったお話はこんな感じ。
最初、主人公の少年は、家族に音楽を禁じられています。
世の中では音楽は良いものなのに、少年の家系では悪いものとして禁じられているわけです。
少年は音楽が好きで、だけど家族のことも好きだからとても苦しみます。
でも少年の家族サイドとしても、理由があって音楽を禁じているので、少年を守るため(そして自分の心の傷を守るため)に音楽を禁じているわけです。
ある日その葛藤が爆発してしまい、
少年の祖母は少年のギターを破壊し、
少年は「こんな家族はいやだ!」と家出します。
どちらも、悪気はなく、それぞれの正義を主張して平行線です。
ここで悲しいのは、少年はまだ子どもだから、一人では生きていけないので、親の言うことを聞くしかない立場にいること。
だからこそ少年の音楽を愛する心は痛みますし、親家族が不条理を押し付ける存在に見えます。
その後、少年は死者の国にいき、家族が音楽を禁じたきっかけとなった人物に出会い、死者の国にいる先祖同士のわだかまりを解いていきます。
その時少年もまた悟ります。
自分を思ってくれる家族の愛自体は、本物だったということ。
一旦音楽を捨てる覚悟すらする少年に、家族は音楽を続ける許しを与えます。
少年サイドも、親先祖サイドも、歩み寄れるわけです。
現世に帰った少年は、現世に生きる家族ともわだかまりを解き、一族に音楽と結束が戻ってきます。
普遍的な、親の不条理vs子どもの自由のテーマを、音楽を用いて描ききったと思います。
これ、宗教二世にも刺さると思いますね。笑
もちろん、この少年のように親サイドも理解を示して大団円、とはいかない現実もあるでしょう。
でも、親サイドが歩み寄ってこなくても、
毒親育ちの子どもの側として、
「よかれと思ってが迷惑なんだよ!私の人生を破壊したことを謝れよ!」から一歩出て、
「あなたの愛だけは理解します。ただ、私はあなたの主張を受け入れません」
というスタンスで生きていければいいなと思います。
それはつまり、映画でいえば、少年に音楽を禁じたこと自体は間違いだったとしても、少年の家族が少年を愛していることも事実だったことと同じです。
彼らを憎んでいても私の世界は変わりません。
この少年がこっそり音楽を楽しんでいたように、勝手に歌って勝手に踊ればいいんです。
親の許しなんて得ずに。
だって音楽は何も悪くない、そう確信できるのならば!
だから勝手に幸せになりましょう。
大○隆法の息子でも
麻原○光の娘でも
JW 二世でも
なんでもいいんです。
私たち、勝手に幸せになりましょう。
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