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今だから矢御あやせがコーチングを始めた理由を話します

また、バイトをクビになってしまった。

バイト先の戸を出た先で、私は泣きじゃくった。
子供のように。いや、子供でもこんな泣き方はしない。

みっともなく泣いていた。

だめだった。
まただめだった。

私は全力で頑張ったが、ダメだった。

私はダメだ。
なぜ?
私には何もないから。

私は何もない。
私は誰にも必要とされない。

ああ、声がする。

「お前は死ぬべきだ」

そう、私は死ぬべきだ。

死にたい。死ぬほど生きたいけれど。

でも、「死なないと人を困らせてしまう」。

なぜなら、私は何もないから。

いや、ある。

一つだけある。
これだけしかないけど、一つだけ。
一つだけあるはずだ。

私には、「書くこと」がある。


こうして、私は地獄に落ちた。

読者という大切な存在を見失った小説家は、間々、地獄に落ちることがある。

私の落ちた地獄は自責の声が鳴りやまない、果ての無い暗闇だった。

だが、そんな私を地獄から救ったものがある。

それが、コーチングだ。


これは、私の死と再生の物語である。

このnoteでは、何もなかった私がコーチングを始めるまでの軌跡の物語である。


🌸何が何でも小説を、本を出さなくては、私は「社会に必要なくなってしまう」

2018年、冬

本を出さなくては。何が何でも。

焦っていた。

バイトをクビになった秋から季節は冬に移り変わる。

待てど暮らせど続刊の報せの無い日々に、すり減り切った心を金槌で叩かれるような日々だった。

そんな消えそうな灯をnoteに預け、小さな火の粉を立てては涙し、評価を受けない日々に自分を目減りさせながら暮らしていた。

私は、「noteの人」には受け入れられない存在だった。

今思えば、私の文章はしっかり外部ツールでウケており、「note内部の評価とどちらが大切か」と天秤にかければ一目瞭然だ。

だが、「noteで書いてみましょうよ」と誘ってくれた人に成果を出せない自分は不甲斐なく、申し訳が立たなかった。

※彼女が私に本当に伝えたかったのは「プラットフォームを替えても書き続けてくれ」だった。私は意味を履き違え、意固地になっていただけなのだ


私は何が何でも書籍化を勝ち取りたかった。

なぜって。

小説家には寿命があるからだ。

「小説家の寿命」を知っているだろうか。

小説家は、発刊から二年を過ぎると小説家ではなくなるという。

(今思えばそんなの誰が言い始めたかもわからないし、いくら本を出していなくても、誰かの記憶に物語が残っていれば小説家は小説家だ。)

私は焦っていた。

「死にたくない」

私は小説家で在り続けたいんだ。

だって、私にはそれしかないから。物語を書くこと以外、何もないから。

そう思って疑わなかった。

それは、私をがんじがらめにしばりつけていた、間違った信念ともいえる。


そして、私は倒れた。自宅のベッドで子供のように泣き叫んで、壁を何度も殴りつけていた。

適応障害。

私にとって例えるならば、そこは暗闇だった。

出口が見えない。一切希望が見えない暗闇。

そこらかしこから「お前は要らない」「お前は何もない」「お前は死ぬべき」と声がする。

私にとってそれは地獄に外ならなかったのだ。


どん底に、落ちたのだ。


緊急外来で通っている精神科に通され、薬を処方された。

その後は一日中寝ているか、ゲームをしているかの日々。


私はこの社会に必要なのだろうか。

どこに行ってもクビを言い渡される私は、必要なのだろうか。


私にとって、毎日が戦いだった。


🌸どん底。寝込んでばかりの毎日。治りかけてきたある日、声をかけてくれたコーチ


休養を経て、すこしだけ体調が回復した。

だが、それはお世辞にも全快とは言い難い状態だった。

今思えば、なぜそこで「仕事」をしようとしたか、私には理解ができない。

そう、あの頃の私は――――悲しい程に、頑張り屋だった。

当時の私はボロボロで、立つことすら奇跡のような状態で。

「必死にやれば、誰かに必要とされる。きっといつか必要とされるんだ」

いつ命の灯が消えてもおかしくないようなボロボロのけが人は、今にも消え入りそうな声でそう言った。


当時の私は、今でこそ「ふーん、直そ」で終わるようなFBが呼吸ができなくなるほど苦しかった。

「お前は何もない」と、自分のことを否定されていると思ってしまったからだ。

(それほどに疲弊していた。本当に、よく、よく頑張ったね、過去の私)


ある日、私はある人の善意でプロフィールを添削してもらったその時、喫茶店でパニックを起こしかけ、涙が止まらなくなってしまった。

そこで助けを求めたのが当時のコーチだった。

コーチは私の思い込みにまみれた歪んだ話を丁寧に聞いてくださり、何度ずたずたに引き裂こうとした私の感情を「それは大切にしてください」と肯定をしてくれた。

そして、最後にコーチ自身の「気づき」を教えてくれ、私は魔法にかかった。

「そんな見方もあるんだ……」

コーチは私から呪いを取り払ってくれたのだ。


その後も雨の夜に戸を叩くような行為を何度も繰り返し、私とコーチのセッションは行われた。

思えばコーチはこんな私によく辛抱してくださったものだ。

コーチは、私がしきりに出していた「根性で何とかしなきゃ」を「キーワードかもしれません」と伝えた。

このキーワードというのは、「意識した方がいいワード」だ。

事実、私は「闇雲に根性でどうにか切り抜ける」ことばかり考えており、

1)明確な作戦を立てる
2)そもそも環境が合っているかどうかの確認

を怠っていた。

そこで、コーチは「根性」をキーワードに定めてくれたのだ。


コーチは私に根付く数々の思い込みを取り払ってくれた。


その一つが、「私頑張ってないし……」だ。

私は、「自分は努力が足りないから何もないんだ」と思い込んでしまったのだ。

違う。違うのだ。私は「頑張っていた」。

闇雲に、必死に。ずっとずっと戦ってきた。

だけど本当は「何を頑張るか」ができなかっただけなのだ。


そこで、私は闇雲に足掻くように頑張ることが、格段に減っていくようになった。


それを積み上げ、いつの間にか自分を見つめなおし、「自分を好きでいたい」という自分を解き放った。

きっかけがわからないほどに、「自分が好き」という気持ちを積み上げてしまったのだ。

いや――本当は、ずっと「自分みたいな奴が自分を好きでいるべきではない」と気持に蓋をし続けていた。

本当は、ずっとずっと、「私は私が好き」だったのだ。

だって、かけがえのない自分だ。好きに決まっている。私は私が大好きだ!!!!


🌸新たな一歩を踏み出した! けれど……

そうした中で、私は少しずつ「人を幸せにする仕事」がしたいと願うようになった。

もちろん、小説家だってそうだが、もっと「近くにいる人を幸せにしたい」と明確に願うようになってしまったのだ。

「私、仕事がしたい」

だが、私はバイトをクビになって以来、ニートだった。

時たまくるライティングの仕事を除けば、「何もしない癖に疲弊している」状態が続いていた。

そんな自分が不甲斐なくて、一銭も貰えない癖にnoteを書くことを「仕事する」と言っていたくらいだ。


「仕事がしたい…人を幸せにする仕事……。」


そして、私はある日、タロットカードを手に取った。

自分で言うのもなんだが、私には占いの才能がある方だと思う。

私の占いに、たくさんの人が喜んでくれた。


「嬉しい! 私にもできることがあったんだ」


だけど、常に私は悩んでいた。


「コーチングがしたい。コーチングで人を幸せにしたい」


その気持ちに蓋をして、占い師を目指すことにした。

占い師事務所にも所属した。

同じ、「人を幸せにする仕事」だと思っていた。


「占いもコーチング要素を入れればいいよね……」


そう思いつつ、コーチングに後ろ髪をひかれ続けていた。

……だが、私はまだ、「自分は小説家でないと存在する価値が無い」と思い続けていた……。


🌸もう一度ダメになりかけた。更にダメになりかけた。


コーチにとって、私というクライアントは、本当に世話の焼ける人間だったに違いない。

私は昨年の秋、とある個人賞に応募し、落選どころか応募記事の10%以上が入った「二十選」にも選ばれなかったことを機に、心から病んでTwitterで大暴れしてしまった。

沢山の人が温かい励ましの言葉をくださり、沢山の人に冷たい軽蔑の目を向けられた。

きっと、今もあの時の事が尾を引いて、私に悪い印象を抱き続けている方もいるだろう。


その時の私は頭の中が「プロの小説家なら、こうでなくてはならない」でぎゅうぎゅうになっていた。

「もっと頑張らなきゃ二冊目で終わってしまう」

これは、二作目の出版から数か月が経った頃からずっとずっと、多かれ少なかれ思っていたことだ。

そんな中での落選。

自分を認めている状態なら「ふーん」で終わることだった。

だが、冷静に考えていない「小説家はこうあるべき」に縛られた私は、絶望して心がどん底まで追いやられてしまった。

「一人にすら選ばれない私には価値なんてない」

今考えてみれば、「一人に選ばれる」がどれほど難易度が高いことか分かる。

だが、当時の私はその高いハードルを履き違え、自分の命が揺らぐ程にショックを受けてしまった。


更に、私は「小説家はこうあるべき」に追い詰められた。

愚痴を吐くことにすら罪悪感を覚えながら、泣き叫びながらTwitterで辛さと恨み言を吐いていた。

今思い出してもヘドロが呪いを振りまくようなおぞましさがある。


敢えて言うが、こんな時は「アイツは見る目がない!」ぐらい思っていいものだ。

だが、当時の私は周りが

「〇〇さん、お疲れ様でした! ステキな賞をありがとうございます」

と言っているのがどうしても羨ましく、「同じようにしなきゃ」と焦燥感に駆られ、それでも真似できずにいた。

絶望の淵で何度も自分を恨み、己を刺し殺さん勢いで自責の念に駆られ続け、主催者への恨み言も零す始末。


そんな行動をする自分を最も責めたのは……他でもない、私だった。


「小説家はこうあるべき」から大きく外れた私の在り方に、私は多いに失望し、本気でベランダから飛び立とうとすらしていたのだ。


「死にたい」


そう連呼していたあの日の私は、本気で死のうとしていた。

周りの助けを経て何とか立ち直ったのだが、本当に苦しい日々だった。


私を縛っていた「小説家はこうあるべき」「人間はこうあるべき」は、ずっとずっと私を苦しめ続けていた。


もし、当時の私がクライアントとして転がり込んできたなら

【小説家はこうあるべきって何でそう思うの?】


そこをヒアリングし、呪縛を解き放つという選択肢を示すことを第一に考える。


そして、


【あなたは自分を優先していい】

と伝えただろう。

ま、それはコーチに手伝って頂いたわけだが!

🌸「私、変わりたい!!」

結局、私は小説家の無念を断ち切れずにタロット占い師として活動を始めた。


やりたいコーチングは後回し

小説を書く目的を見失ってダラダラ新作づくり

そんな状態では占いだってうまく行く訳がない


そんな中、友人に誘われて小説家の交流会に行く。

結局、飲み会で私は大失敗をしてしまいました。

人の話を全然聞けず、コミュニケーションが上手く取れず、いつものように「ぶっ飛んだ人物」を演じようと必死になっていた。


そこで現れた解決策が「傾聴を学ぶこと」。

傾聴とは、人のお話を「聴く」技術や心のことだ。


実は私、「傾聴ができない」という強い強いコンプレックスを持っていた、

その上、「傾聴を学ぶのが怖い」と思い続けていた。

傾聴を学んだら、私が変わるのは目に見えていた。

ですが、それ以上に「今までの私が全否定される」と思っていたのだ。

これが、私の人生を変えるために阻まれた、今までで一番大きな壁だった。


私は大いに葛藤した。

今までの私が全部否定されてしまうかもしれない。

私が頑張ったことが、ぜんぶぜんぶ。

でも、変わりたい。

大好きな人が困ったとき、話を聞いてあげる人になりたい……!

「私、変わりたい!!!!! こんな日々、もう嫌だ!!!!」


……結果から言うと、葛藤の末、傾聴を学んだ。

正確には傾聴の心を学んだのだ。


結局、私は変わらなかった。

いや、正確には大きな変化をした。


【今までの努力と合わさって、私は超パワーアップしました!!!】


だから、言いたい。


今までの努力は、あなたの人生は、「変わること」に於いて無駄なんかじゃない。

🌸小説家の呪縛から解き放たれた私


傾聴を覚えた頃から、私は少しずつ変わっていった。

殻を破ったとも言えるかもしれない。


「やっぱり私、コーチングがしたい!」


私は、コーチングサービスの開始に向けて爆進を始めることとなる。


「「「小説を書くよりも、私は今、大切な人を幸せにしたい」」」

ポンコツな私の、何もなかった私の、挑戦が始まった。

そして、その挑戦は今も継続中だ。


私は――小説家にみっともなくしがみつき続けようとしていた私に別れを告げた。

――人を、幸せにしたい。

手の届く1人1人に、より良い明日を届けたい。

🌸私が本当に助けたかったのは、様々な「あの頃の私」だった。


毎日西武線で泣きながら必死に生きていた私

職場でいじめられて、毎日泣きながらも必死に生きていた私

「私には何もない」と毎日泣いていた私

「小説家で在り続けなきゃ」とプレッシャーに押しつぶされていた私

あの「私たち」に「あなたたちは可能性でいっぱいなんだよ!」と教えたい。

「絶対に変われない」と思っていた私たちに、「残念ながら変われてしまいます」と伝えたい。

彼女たちの呪いじみた思い込みを、コーチングは解いて開放することができると私は信じている。


🌸ここまで読んでくれたあなたへ


私の軌跡はあなたの心の琴線に触れましたでしょうか?

最後まで読んでくださった方の心に少しでも触れたのならばこれほど嬉しいことはありません。

今日が死ぬほど辛い方。

夢に押しつぶされそうな方。

大丈夫。あなたは頑張り方が苦手なだけ。

あなたの「がんばる」を少しだけ見直しさせすれば、きっとうつくしい花を咲かせ、誰にも負けない輝きを見せるでしょう!

よければ、あなたの隣でその成長を見せてくれませんか?


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