私とnoteについて
新年を迎えましたが、ここで私がこのnoteをどういって位置付けに捉えているかを述べたいと思います。
結論から先にいいますと「私が生きた証を残すため」です。
自己紹介では結構好き勝手な事を言っていますけど、現状仕事をするのが厳しかったりそもそも1日を無事に過ごすだけで精一杯だったり、常に苦労が絶えません。
過去に記事で少しだけ触れたんですが、私は2022年3月から2023年6月まで障害者の仕事復帰を支援する「就労移行支援」というサービスを利用していました。
ここで就職を目的として頑張っていたのですが、途中で2回も気を失うという(電車の中、病院)事態になってしまい、身体を考えた結果仕事は諦めました。
頑張れば仕事は出来なくないのですが、ストレスからまた肺が潰れて入院すると余計に出費がかさんでしまうので、やむなしという形です。
このnoteを始めたのは11月からですけど、当初からnoteを私の墓場にしようと考えていました。好きな事を好き勝手に書く…なんていう余裕は、実はほぼありません。
「過去にこんなことがあったな」
「今、自分はこんなことを考えている」
「こんな人間がいた事を残しておきたい」
といった事を、単に書き留めておくためですね。
それ故に、私はコンテンツを作るという意識は全くありません。人を楽しませようにも、身体の痛みが全身を支配してしまうので、難しいです。
先日巨大な地震が発生しましたけど、そこからまあまあ遠く離れていたといえは心身に甚大な影響が出ました。僅かなストレスですら、私には致命傷になりかねないのです。
この身体は本当に面倒な仕組みになっていて、過度な心配をされると「心配かけないようにしないと」という心理が働き、いつも無理してしまいます。特に両親に対しては。
両親からはたまに「そんなことで」と言われますが、そうしたさりげない一言も心の傷になり、心の中でごめんなさいと謝ってしまいます。
それだけ、この身体は繊細で壊れやすいということでしょうか。
こうした思いを私の中で留めて置いたままにしておくと、火山に煮えたぎるマグマのように煮えたぎって来て、時期に大爆発を起こします。
癇癪のように自分でも制御が出来なくなってしまうので、それを適度に発散するための場としてこのnoteを選びました。
自己紹介ではブログをやっていたとありましたが、ブログは色々な設定が面倒だったんです。何かもっとシンプルなものはないかなと探した結果、このnoteに行きついた感じですね。
話が二転三転していますが、noteの位置づけは最初の結論に尽きます。
以前のブログも数日に1度くらいは更新していましたが、こちらでは気が付けば毎日投稿している気がします。
それだけ、書き残しておきたいことや共有しておきたいことが多いって事ですかね。
スキの数、コメントの数、閲覧数の数などは正直まったく気にしていません。と言いますか、そこまで気にしている余裕もありません。
一応たまに見て「なんでこんなに伸びてるんだ?」と思う記事は多いですが、それだけです。
これからも細々と続けていきますが、もし更新が長い期間滞った際は心身的にかなり限界になったか、もしくは無意識に頑張り過ぎて距離を置きたくなったかのどちらかです。
そうならないように、程々な付き合いでこれからもやっていこうと思うので、よろしくお願いします。