"我に返る"瞬間がある自分
私はよく「どうして〇〇していたんだっけ」と言う感覚に陥ります。最近だと、心療内科へ通っていた時に「どうして心療内科へ通ってるんだろう」と考えました。
「病気や障害の経過報告では?」と言うのが一般的な返答だと思いますが、そもそも私は心療内科へ通おうと思っていたわけではありません。
2022年に就労支援施設へ行って、「先に心療内科へ行くべきだよ」という話になり、流されるように通うことになりました。そう、人の忠告に流されていたんです。これは小学生の時から変わっていません。
小学4年生の時、私の母はとある私立中学校を受けてみたらどうか?と言われました。勉学は平均以上に出来て、近所にある塾の先生からも薦められていたんです。
中学以降の事を何も考えていなかった私は、何の疑いもなく忠告に従いました。その結果、勤勉で真面目になったんですが、何かとても重要な事をなくした気がしてなりませんでした。
私立へ進むことに拍車をかけたのが、他のクラスメートからの嫌がらせでした。その辺りは既に過去の記事に書いてあるので詳細を省きますが、そこから抜け出したいという理由で私立へ行きたいと願うように。
私が私立を目指した本当の理由は、「嫌がらせをしてくる人達から離れたかったから」。いい高校・大学に入りたい、勉強が出来るようになりたいとは、微塵も思っていなかったんです。これに気付いたのは、大人になってからなので、ほぼ周囲から洗脳されていたような感覚ですね。
常に誰かからのアドバイスを鵜呑みにして生きて来たものですから、自分自身で道を作って切り開くというのが、とても難しいです。それを変えようと一人暮らしするも、身体を壊したあげく借金まで背負い、自宅へ帰還。
そんな経験があるせいか、自分の勝手な思い込みや思考が抜けて、1文目の「どうして〇〇していたんだっけ?」という感覚がやってくるわけです。
なお、占星術では同じ現象が起きませんでした。自分から始めた事に対して、「どうしてやってるんだっけ?」なんて思う事はないと思います。
私が占星術を学び始めたきっかけは「自分の事を深く知りたいから」だったんですが、たびたび「そうか!これってこういう意味もあったんだ!」と気が付かされることばかりです。
例えばですが、私は人を応援すること・何かを作る事が好きです。このnote内でもそのような内容の記事をいくつか出しており、感謝のお言葉を戴くことがたびたびありますね。
これも、しっかり私の占い結果の1つの中に書かれていました。
「我に返る瞬間」を経験するという事は、自分の意志ではなく他人の意思で動いている(やらされている)。私はそのように解釈をしました。
ゲームやアニメでも、敵に洗脳されていた所を正気に戻した際に「あれ?どうして自分は…」なんてシーンは結構見かけます。これと同じことが、私にも起きていたんじゃないかなと。
この感覚を覚えたという事は、ある意味ターニングポイントだと感じています。私以外にも似たような経験をしたことがある方がいるかもしれないので、何かの気付きになれば幸いです。
最後に余談なんですが…私は小学校で金管クラブに入り、トランペットを演奏していました。恐らく、自分が人生で初めて「これ続けてみたい」と思った瞬間だったかもしれません。
私立に行った結果、学校の授業スピードの速さについていけなくなり、部活に入る余裕はありませんでした。運動会・文化祭などで吹奏楽部の演奏を見ては憧れを抱き、自分もああいう舞台に立って演奏してみたいと願っていたんです。
もしも私が、トランペットの演奏を続けていたとしたら、「我に返る」と言う経験はしなかったかもしれませんね。周囲に流されず、自分の意志・主張をしっかり持ちたいです。
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