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part.3 発覚そして初めての手術。
それでは、part2の「私の動静脈奇形の歴史」に基づいて、順を追ってみたいと思います。 まずは、この病気の発覚について。
まだ僕が都内で働いていた頃、ちょうど30歳目前、人生のターニングポイントを迎えつつあった頃のこと。ある日、会社近くの歯医者に「親知らず」を抜きに行った。ビビりながらも麻醉を待つ僕。「先生、麻酔はしっかりというかガッツリ打ってください!」お願いした。
しかし先生、なぜかて手がピタリと止まり、僕の唇をつまんでまさぐり始めたんです。これ治療の一部ですよね?と心の中でつぶやきつつも、じっと我慢。すると先生からの質問攻めがスタート。「唇、前から腫れてた?」「この拍動、ちょっと強くない?」……いやいや、僕は親知らず抜きに来たんですけど!? 結果、その日は“抜きたい気持ち”を封印し、大学病院へ検査を受ける事に。
珍しい病気っぽい30年前。
時は約30年前。どんな検査を受けたのか詳細は覚えてないけど、診察のたびに先生が増殖。「ゾロゾロ現象」とでも名付けたくなるくらい、白衣が増えていく。昔あった大学病院のドラマのように。これはただ事ではないぞ?と不安に思っていたら、診断結果は「血管腫」。しかも「このままだと破裂の恐れがある」ときた。破裂!? 想像だけで壊れそう。インターネットなんてまだない時代、情報収集なんてできるわけもなく、ひとまず先生の指示に従うことに。
で、その手術の内容がまたすごい。首を切開して血管をクリップで留めるって……いや、それ血管の反抗期とか起きない?と不安になりつつ、まあ会社生活にも疲れてたし、ここで「正当な休職理由ゲットだぜ」と安易に考えていた30代。
巨大洗濯バサミでリハビリ!?
初めての手術は無事終了。ホッとしたのも束の間、ここからが地獄。術後筋肉が固まって口が2ミリしか開かない!? 食べること大好きな僕にとって、これは人類史上最大の試練。そして始まったのは「巨大洗濯バサミリハビリ」。これがまた痛いのなんのって。悶絶するほどの痛みに耐えながら、記憶だと1ヶ月以上。ようやくなんとか口が開けられるように。
その後、口の開閉はすこし回復したものの、未だに口が斜めにしか開かなかったり、首が突然つったりする後遺症と仲良く共存中。インターネットも出来ない時代、手術は本当に最善だったのか、正直分かりません。でも、今では絶対やらない手術だと信頼する主治医が断言してくれました。まあ、時代が進めばアナログな方法も「今ではあり得ない!」なんて言われることもあるよね。
今はただ、医学の進歩と、情報が秒で手に入る時代に感謝するばかり。
未来はもっと良い治療方法ができることに期待していこうと思う。
最初の手術で感じた事。
・的確な情報を得ることの大切さ。
・セカンドオピニオンも有効。
・手術以上にリハビリが大変