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あんさんぶるスターズ!!における、愛(Valkyrieを中心に)

なんだかんだ、ずっと続けているソーシャルゲームに、あんさんぶるスターズ!!がある。Valkyrieという、ゴシックなユニット衣装を纏い、人形と人形師が物語を紡ぐという趣旨で活動するアイドルユニットを知って、ダウンロードしたアプリゲームだ。

一般的に「女性向け」ゲームとしてカテゴリされるあんさんぶるスターズ!は、男性アイドル育成ゲームである。……まあ、実際はほとんど勝手にアイドルは成長していき、それを見守るだけなのだが。

Valkyrieは上記リンク確認すればわかると思うが、まさにALI PROJECT
が好きだった私には直球に好みだった。実際、彼らの楽曲で最初に発表された楽曲のひとつは、ALI PROJECTが作詞作曲する「魅惑劇」である。

「あんさんぶるスターズ!」は当初「ぽちぽちゲー」と俗称される、単純な育成ゲームとシナリオによって構成されているゲームだった。(これは現在「あんさんぶるスターズ!! Basic」として引き継がれている)
その後アップデートを果たし、「あんさんぶるスターズ!!」という音楽ゲームとなったことで、女性ゲームコンテンツ、いや、日本国内でも屈指のゲームコンテンツとして躍進する。

Valkyrieの物語は、「あんさんぶるスターズ!」までは、「人形師と人形」の物語である。つまり、人間同士の関係性を築けないもの同士がアイドルユニットを組む、いびつな関係だった。この時から、彼らの物語は、「愛」を間違いなく描いているが、どの他のユニットよりも抜群に関係性がいびつだった。

芸術を愛しながらも性愛や恋愛を限りなく疎み、大人になることを拒みたかった斎宮宗。斎宮宗のつくる芸術に魅せられ、その物語のひとつとなるために「人形」になりたがる影片みか。影片みかは両親がなく、オッドアイゆえにまわりに疎まれて育った。
アイドルユニットなのに、「モチーフ」そのものが彼らの関係に食い込みすぎている。それは彼らに「愛」という観念が欠如していることから由来する。恋愛や性愛を理解できない斎宮宗と、家族愛というものを知らなかった影片みかは、「あんさんぶるスターズ!」の時間軸では、ボタンをかけ違うように、こころがすれ違い続ける。


しかし、「あんさんぶるスターズ!」での時間軸の終わりに、斎宮宗は影片みかに「対等な芸術家」「対等な人間」であることを求める。
「あんさんぶるスターズ!!」軸で、影片みかは斎宮宗の要求、願いをうまく受け入れることが出来ず苦悩する。人間らしさを、理解できずに育った彼にとっては無理難題に等しかった。しかし、物語の時間軸が進むにつれ、彼は「人間」「アイドル」「芸術家」としての自己を確立するようになる。
影片はまだ学生ゆえに日本に、斎宮宗は本拠地をパリへ移してしまったがゆえのすれ違いの部分もたぶんにあり、今まで彼らは当たり前に隣にいた関係から距離をおいたことにより、逆に自己と、相手を認識できるようになる。


最新のValkyrieのイベントストーリー「語る人形とレゾンデートル」では、影片みかの卒業後にどうするか、というフェーズにかかるエピソードだ。
本筋は、斎宮宗の祖父の生前葬を執り行う話だが、「Valkyrieが、アイドルとして、人間同士として、どうこれから生きていくか」を提示する回である。「君はもう、色んな意味で僕の身内だろうに」とイベント予告のカードでも言及される。

このイベントストーリーは、楽曲「Le temps des fleurs」と絡み合うことでより素晴らしいものになっているし、何より、劇中劇はシェイクスピアの「じゃじゃ馬ならし」をネタのひとつにおいており、メインシナリオライターの日日日が今まで試行錯誤していたシナリオであることがうかがえる。(物語構造として近い過去のストーリーに、「あんさんぶるスターズ!」軸の「公演!悲喜劇のロミオとジュリエット」がある)
物語的な面白さは、それぞれ、イベントストーリーを読んでもらいたい。

荒唐無稽な 祈りに縋っていても
救いの無い想いは消えはしないでしょう?
それなら残そうか 僕らの出逢った意味を
偶然と運命の衣装着替えさせて

Le temps des fleurs 作詞:松井 洋平 作曲 / 編曲:SHIKI

直球で「愛の歌を」とリフレインする歌詞に、斎宮宗から影片みかへの「愛」に迷いがない。そしてエピソードの最後、斎宮宗は、

「嗚呼、麗しき花の都よ
ねえ影片、ここで僕たちも、祖父たちのように幸せな物語を紡いでいこう
そうして笑っていよう、いつまでも、ふたりで仲良くね」

「語る人形とレゾンデートル」エピローグ③

と締めるのである。セリフ内の「ここ」とはパリのことである。

のちの、別ユニット紅月のイベントストーリー「天地鳴動 晴レ舞台」では、サブキャラクターの信長先生(これはいわゆるあだなで、実際は女性の歴史学者)と神崎颯馬とで、フィレンツェで以下のやりとりがある。

信長先生
「だからさ、そういう世代のやりたいことを阻むような邪魔者は、取り除いちゃったほうが良いんだって」
「君たちは、君たちの頭を押させつけられているものに協力させられている」
「他にいくらでも出来ることがあるのに、ただただ先人たち築いた”権威”の補強をさせられている」
「可哀相にね、そんなにお利口さんでいなくてもいいのよ」

「天地鳴動 晴レ舞台」「天地創造/10話」

信長先生
「大丈夫よ。あたし結婚してるし、子供に手ぇ出すほど恥知らずじゃないから」
颯馬
「む、そうなのか? 『いんたぁねっと』の辞典などにはそのようなことは書かれていなかったが……?」
信長先生
「世界のすべてが辞書とかに書かれているって思ってるの?」
「ちゃんと籍は入れてないのよね。まだまだクソ時代遅れなあの国では、"こういうの”への風当たりは強いから」
「ほら、写真見る? 可愛いでしょ、うちのパートナー♪」
颯馬
「あぁ……、信長先生が海外を飛び回っておるのは、そういう事情であったか」
信長先生
「いや、それは単に仕事と趣味のせいだけど、それこそ結婚相手に自分の人生を後回しにしてでも尽くすべき、みたいな思考も前時代的じゃない?」

「天地鳴動 晴レ舞台」「天地明察/3話」

この信長先生という登場人物の語りによって、あんスタの世界の日本は「同性愛(同性婚)が認められない」、フィレンツェなどの海外は「同性愛(同性婚)が認められる」世界として描いている。先述の斎宮宗の「ここで僕たちも、祖父たちのように幸せな物語を紡いでいこう」は、明確に、日本ではなく、「パリ」でなくてはならないのだ。

作中の斎宮宗に、恋愛感情や性愛への意識があるのか、については実は問題にする必要がない。斎宮宗はただ、影片みかに信長先生の言う「パートナー」として、人生で隣にいてほしいということを願っているだけなのだ。

最近ドラマ化された、『オールドファッションカップケーキ』(佐岸左岸)というBL漫画にも、似たような問題提起があると思っている。恋愛感情自体をあまり意識していなかった野末が、部下の戸川と公私ともに付き合うことで、意識を変えられて、結ばれる。BL漫画というフォーマットである以上、最後に性描写が入るし、続編では性愛としてふたりが愛し合っている描写がある。

しかし、あんさんぶるスターズ!!のValkyrieは、BLの枠のなかで愛の話をしているわけではない。性愛が介在する「必要がない」。「必然性もない」。ファンの想像のなかに、「あってもいい」し、「なくてもいい」。
Valkyrieという存在は、すべての愛や感情を性愛や恋愛の物語に収斂させてしまう風潮へのアンチテーゼであり、日本の同性婚という多様性を否定する現実への問題提起そのものである。



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