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末満健一について語りたくなった


こんな経験をしたことはないだろうか?

あの時、ふと有線で耳に入ったシンガーソングライターの曲が好きになった。一時は何度も何度もヘビロテして、レンタルCDで他の曲も聴いて、テレビ番組で披露される際は必ずテレビの前で待機する。もしかしたら、ライブにも出向くほどになるかもしれない。けれど、ぷつっと、そのシンガーソングライターが嫌になる。好きな曲を書いて歌ってくれると思ったのに、なにかが違う。今度の新曲は、「いつものと違う、こんなのは好きじゃない」、あるいは「いつも似たようなのでつまらない」と、気持ちが離れる瞬間がある。それは、自分が変わったのか、それとも歌手が変わったのか。……でももう、どちらにせよ、自分の好きなものではなくなったのだ。そうやって、いつしか好きだった曲すらも聞かなくなる。

クリエイターが「推し」になったら、いくらでもある話だ。それが、小説家なのか、脚本演出家なのか、イラストレーターなのか、漫画家なのか。「解釈違い」なんて単純な言い回しで片付けるには、心の整理がつかないことだってある。



今の私の人生に、深く影響を与えているのは、末満健一という脚本演出家だ。舞台刀剣乱舞や、舞台鬼滅の刃の脚本演出と聞けば、知っている人がいるかもしれない。あるいは、TRUMPシリーズと総称される作品群で知っている人も。

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末満健一の舞台は、まず、物語の構造が美しい。セリフ、キャラクター、衣装、照明、舞台セット、すべてが物語に奉仕する。システマティックなつくりは、「ミステリー」とカテゴライズしたくなる。末満作品の多くは、配信することが多いが、実際に劇場で観ると、解像度が上がる。スウィッチング(特定の役者にズームインするようなもの)で見ると視界に入ってこない、背景のような場所にも、物語の糸が張り巡らしある。キャラクターに感情移入しても、物語の「謎に挑もうとしても、彼の作品世界の糸に絡め取られる。

冒頭のシンガーソングライターの話はどう繋がるか、と思うかもしれない。私の好きなもうひとつのポイントの話である。テーマの反復。
末満作品は、同じテーマや概念の話がさまざまな作品に散りばめられている。(これは、TRUMPシリーズと舞台刀剣乱舞に強く出ている、ストーリーラインを彼がおもだって形作る、シリーズ作品であるが故に)
おそらく、ベラキッカと舞台刀剣乱舞綺伝を見れば、「ファム・ファタル」というテーマを見出せるし、他にも「復讐」「嫉妬」「憐憫」など、キーワードとなる概念は、作品を見るたびに見い出される。いわば、「いつもの味」。ただ、それをどう見せるか、というのが常に移り変わり、進化していく。
さまざまな作品を観ている人は、展開は読めてくるかもしれない。「このセリフは伏線だ」とか、そういうことは観ながら多少なりとも分かってくる。しかし、舞台芸術はストーリーラインだけではない。どう、エンディングを導くかは、音楽や照明や役者の演技も大事だ。「いつもの味」なのに、「新鮮さ」を常に感じる。先程のシンガーソングライターの例で挙げた、「いつものと違う、こんなのは好きじゃない」、あるいは「いつも似たようなのでつまらない」の、どちらの感情も打ち消してくる、マジックなのだ。

もちろん、末満作品を誰もが「好き」になるとは思っていない。彼が何度も提示するテーマや概念が嫌いなら、まず勧められない。ただ、「面白い」ということは分かると思う。無駄のないマジックを見た時に、「すごい!」と声を出したくなるのと、同じことだ。

私は、舞台漆黒天 始の語りを劇場初日で観た帰りの電車でこの文章を書いている。

https://twitter.com/toei_movie_st/status/1552942010931171328?s=21&t=ZaO10dZE_bJozPPq4zGorA

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