理解するとは(映画「海獣の子供」感想)
「理解した気」になる物語がありふれている。一人称語りの物語を読めば、主人公の気持ちを知った気になる。簡略化された説明書を読んで分かった気になるようなものだ。
映画「海獣の子供」は、まこと「思いあがるな人間!」と叫んでいるかのような映画だ。理解なんて、できないことは世界にたくさんあって、理解できているというおごりを取っ払ってしまう。怒涛の海、怒涛の宇宙。
世界観に呑まれるほどに、私たちの認識の世界が浸食されるがごとき、そんな体験をさせてくれる。それでも、この物語には、光がある。その光の理由だけは、きちんと言葉で提示されている。それを解ることではない、腑に落ちるとしかいいようのない安心感を、その光は与えてくる。
プロメアみたいに何回も何回も楽しく観る映画ではない。ただ、一度でも鮮やかに私たちの心に飛来すれば、それは棲みつく原風景となる。
ああ、江ノ島水族館行きたい……。ボートで海を渡り、クジラたちを眺められたら、最高なのになぁ。
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