『MARRIAGE PROJECT マリッジ・プロジェクト』Vol.3 ルームシェア クラブ好き女子が、 〝世界にたったひとつのオリジナルウェディングパーティ〟を創るフリープランナーになるまでのStory
Vol.3 ルームシェア
西新宿4丁目にあるフォレストマンション。
DJの彼に誘われ私は引っ越し当日にお邪魔することになる。
聞いてはいたがエレベーターで11階まであがり、
ベランダから見える景色は目の前にさえぎるものがなく、本当に夜景のポスターを貼り付けたような嘘みたいに綺麗な景色がひろがっていた。
ここで洗濯物を干したら気持ちがいいだろうなぁ。
此処から見える光の数だけ人々がそこに住んでいて、それぞれの人生が詰まっているんだなぁ。
と、ぼんやりきらきらする夜景を眺めた。
それから何度かファッションショーの音の打合せでフォレストマンションに通い、夜が遅くなった日は泊まらせてもらったりお邪魔することになる。
ある日の朝家を出るときに、
フォレストマンションルームメイトのひとりが、みんなに帰宅時間を確認する。
「〇〇はー?」
「〇〇はー?」
「〇〇は、仕事があるから遅いかな?」
「はずちゃんは?今日は、生姜焼きだよー!」
と、そこに住んでない私にも声をかけてくれた。
........?...私.......帰ってきてもいいの?
正直、始発終電で学費を稼ぎ続けるアルバイト、その間に通う専門学校、積み重なる課題、合間を縫ってのファッションショーの準備。
しんどかった。
精神的に参っていたんだ。
言葉に詰まる。あごの奥がツンとした。
「......帰ってこれるかわからない、
でもいいね、生姜焼き。また連絡するね」
と、静かに答えて、マンションをでて、
11階のエレベーター前でひとりで泣いた。
東京にこんなにあたたかい人たちがいた。
フォレストマンションのみんなが好きだ。
それから新中野に引っ越しをして
一人暮らしを始めた。
渋谷行きのバスに乗れば、西新宿で降りれる。フォレストマンションにも通いやすい。
丸の内線新中野駅から徒歩3分にある
小綺麗なそのアパートを気に入っていた。
JR中央線中野駅まで歩けば、市ヶ谷にある専門学校にも電車で一本だった。
キッチンも、カウンターキッチン、タイル貼りで料理が楽しかった。でも一階だったので日当たりが悪く、コンクリート打ちっぱなしの壁はビジュアルはよかったが冬は底冷えした。
フォレストマンションにいるみんなに会いたくて、日当たりが良い夜景が綺麗なあの部屋に週に3、4日は通っていたかもしれない。
ディレクションを担当していたファッションショーも無事に完結した頃。
渋谷のカフェのアルバイトに加えて新しいアルバイトを始めた。表参道にあるウェディングドレスメーカーで働いた。
専門学校のあと、そのままアルバイトしていたドレスメーカーに就職しドレスフィッター、ドレスメーカーの営業を担当する。
ドレスフィッターは、新郎新婦と一緒にカウンセリングしながら、おふたりにお似合いになるウェディングドレスとタキシードを選び、フィッティングする。
衣装を選ぶおふたりは、基本的に既に式の日取りと会場が決まっていて、会場の照明や挙式のテーマ、お好きなテイストとスタイリングに合わせてご提案をしていた。
フィッティングルームから出てくるおふたりは、照れ臭そうにお互いの姿を確認をする。
新郎「うわ、似合うじゃん。」
新婦「うん、わるくないね。」
と、一緒に並ぶおふたりを見たとき
ああ、それはもう既に小さな結婚式だ!
おふたりの結婚式に微力ながらも携わっている。事実が嬉しかった。
私が1番に見ちゃったもんね!
と、小さな優越感に浸ったりしてみた。
幸福な瞬間だった。
ドレスメーカーの営業に移り、「弊社のウェディングドレスを扱っていただきたい」と、レストラン、式場、プロデュース会社を回る仕事も、とてもやりがいがあった。
ドレスメーカーの経験を経て、新宿の大手式場に勤め、晴れてわたしは念願のウェディングプランナーになった。
ここまで働いてきて本当によかった。
西新宿のフォレストマンションに行けば、家族のように迎えてくれるクラブ仲間に会える。
学生時代から5年間働いた渋谷のカフェの店長は、わたしにとって今も〝東京のお父さん〟だ。
世間知らずなわたしの面倒を、本当によく見てくれた。一緒に働く仲間も大好きでたまらなかった。人って、こんなに人を好きになれるんだって思った。
専門学校時代の友人や、ファッションショーで出会った友人とも、旅行に行ったり、お酒を飲みに行ったり、ライブやクラブに行ったり、よく家に泊まりに来てくれた。
会場プランナーになり、20人位いるチームの中で、新規接客成約率No.1になった。接客対応をした3件中1件は必ず契約をしてくださった。
「どうしてそんなに契約が取れるの?
講習をお願いしたい。」とマネージャーが、言ってくださった。会社から高い評価を得た。
念願のウェディングプランナーになれて、会社からも、評価され、社会に貢献できていると自信になった。
けれども、新規接客、打合せ、当日施行、と現場を重ねる中で違和感が生まれた。
スーツを着て、髪の毛をきっちりとめて、
色がはっきりとしたリップを引く。
新しい新婚生活、結婚式の憧れを胸いっぱいにして、会場に足を運んでくださるお客様を対応する中で、
「海外ウェディングみたいな結婚式がしたいんです。」
「好きなドレスショップがあって、そこで衣装を借りたいんです。」
「実家が花屋で母に会場装花をお願いしたいんです。」
「友人にプロのカメラマンがいて、その方にカメラマンをお願いしたいんです。」
私は、決まった答えを返答しなければならなかった。
「申し訳ありません。管理費として持ち込み料を頂戴しなければいけないんです」
「当社の決まりで、それは残念ながらお断りさせていただいております」
「え、自分たちの結婚式なのに...好きにできないんですか?」
..............わたしだって、そう思うよ!
わたしは、結婚式場という非日常的な空間で、スーツを着て、髪の毛をきっちりまとめて、はっきりとした色のリップを引いていた。
そんなきっちりした
格好をした人に言われたら、みんなそうだから。
それがどうやら、しきたりだから。
思っていたより自由にできない。
結婚式ってこういうものなんだ。
と、おふたりは、諦めた。
わたしが営業成績が良かった理由........。
それは、そこから制約のある中でも、
出来る限りなんとか、どうにか、
おふたりの想いを実現できないだろうか。
上司に交渉をして、業界で決まっているからと言われたことは自分なりに何か方法がないかと考えた。
当時は、会社には言えなかったが、
持ち込みができる裏技を考え資料を作成していた。おふたりのご負担を少しでも軽減したく、節約方法もいろいろ試して、おふたりにご提案をした。
規約がある中でも、おふたりに寄り添いたかった。どうしても。
だって、おふたりにとっては、一生に一度の大切な結婚式だから。出来ることは全てやった。
ウェディング業界に対する違和感を残しながら、日々のプランナー業務に没頭する。数字だけを見て、会社からは、高い評価が続いた。
........どうして、自分の結婚式なのに、自由にできないんだろう。
ひとりひとり、違う価値観を持ち、それぞれの個性があり、違う人生を歩んでいるのに、どうして、似たような結婚式を挙げなければならないと、日本では決まっているんだろう。
フォレストマンションの夜景、そこから見える、たくさんの光を思い出す。
その答えは、現場を重ねながら見つけていく。
〈プロフィール〉
▶︎浅野 はずみ
ウェディングプランナー/空間デザイナー
規制が多く自由に選択することのできない、クォリティが不透明な 由来のウェディング業界の型にはまったウェディングを根本的に見直し、本質的なウェディングへの表現と可能性を追求し提案する。日本のウェディング業界をより良いものへとする活動家。MARRIAGE PROJECT/マリッジプロジェクト代表取締役、運営者。アウトドアウェディングのディレクション、空間デザインを得意とする。
▶︎ホームページhttps://marriageproject.theblog.me/