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アンチ・ギャルゲー論 「恋×シンアイ彼女」を終えて
いい歳した妻帯者がギャルゲーをプレイするのって自分でもどうかって思うこともあるんですけど、様々なライフステージにおいて、作品に触れたことから得られる感動や、引き出せる教訓って、小説を読んだりとか映画を観たときとかのように、当然ギャルゲーにもあるわけです。
それに、自分は思春期をギャルゲーに捧げすぎた。自分の青春はギャルゲーにあった。心を突き動かされるような、突然宙に投げ出されるような、人生が180度変わるような体験をギャルゲーは与えてくれた。
だから、こうして今でもその時の感動を追い求めて、ときどき思い出したかのようにギャルゲーを起動するのであった。
今回は、久しぶりに心にポッカリと穴を開けてくれたギャルゲーに出会えたので、「恋×シンアイ彼女」について書いていきたいとおもいます。
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1. 恋カケ完走直後の感想
「恋×シンアイ彼女」の評判は前から伺っており、ハッキリと賛否分かれるゲームと聞いていました。最近SNSでフォローしてる方々もこのゲームについての感情が溢れんばかりの感想を投稿していたので気になりちょっと読み進めてみたところ、そのまま止まらず自分は5日間で一気に読み進めていきました。
そして最終シナリオまでクリアしたときの自分の感想はこれ!
「恋×シンアイ彼女」のラストエピソード終わった直後の自分の感想なんですが、「"恋"だけど"愛"ではない」ですね。あまりに一方通行過ぎません?すれ違いばかりで。その原因を解消するにはもっとお互い話し合うべきです。愛って現実的で、辛抱強いものです。#恋シンアイ彼女
— 安眠( ˘ω˘ )スヤァ… (@goodsleep_yasoo) June 13, 2024
なおかつ、Amazonの激おこレビューを読んで爆笑している自分も居た。
恋シンアイ彼女終わったあと、Amazonの激おこレビュー読んで爆笑してるwwwwwww pic.twitter.com/za0W7naMLS
— 安眠( ˘ω˘ )スヤァ… (@goodsleep_yasoo) June 13, 2024
2.ギャルゲーに求むべきこと
いや、でも「恋×シンアイ彼女」に激おこする人の気持ちも理解できます。ギャルゲーって、異性との素敵な出会いがあって、様々な困難があっても乗り越えたりして、2人の気持ちが接近して、想いを遂げて、愛を育んで、これからもずっと幸せに暮らしていくでしょう・・・ってエンディングを迎えて終了みたいな、王道を往く展開を多くの人は期待しているんでしょうね。
「恋×シンアイ彼女」は、特に星奏ルートにおいては、そうではなかったということです。
愛とは、お互いに見つめ合うことではなく、一緒に同じ方向を見つめることである。
これは、フランスの有名な作家であるサン=テグジュペリの言葉とされています。個人的には、「愛」の持つ一面を的確に捉えた言葉だと考えています。
自分は直感的に、「恋×シンアイ彼女」を「”恋”だけど”愛”ではない」と評したのは、まさにこのことです。主人公である國見 洸太郎と、姫野 星奏は、幼少期の出来事をきっかけにお互いに惹かれあい、出会いと別れを繰り返していきます。その過程では二人は確かに気持ちを通じ合わせて、愛し合いましたが、その結末は・・・。最後まで「同じ方向を見つめること」は決してなかったのです。
3. 手紙、一方通行の想い
この作品のモチーフとして、転校が決まった星奏に宛てた洸太朗の手紙、彩音が洸太朗へ密やかな想いをしたためた手紙など、「手紙」が重要アイテムとして登場します。
作中の描写でもあったように、想いを込めて書いた手紙も、受け取ったか・読まれたかどうかは、書き手は直接知ることが出来ません。また、受け取ったとしても、受け手の感情はどうだったのか、書き手は直接知ることはできません。そういった意味で、「一方通行」の象徴として「手紙」が用いられています。
自分は思いました。最初に星奏が洸太朗の手紙を読んだ時、すぐに手紙を帰さなかったら、洸太朗はどう思うのか考えなかったのだろうか。洸太朗は、星奏の返事を待たずに、なぜ失恋したと思いこんでいたか。
少し、言葉を介せば解決することだったのです。逆に、それができなかったのです。言い訳は出来ます。物理的に住む場所が異なるという状況、時間の経過という制約。2度目の決断を星奏がしたときも、言葉はあったでしょうか。3度目の決断も、どうでしょうか。逆に、洸太朗は星奏が街に戻ってきた理由を何故聞かなかったのでしょうか。プロポーズしたところで、星奏の気持ちに気付かなかったのは何故なのでしょうか。結局、洸太郎と、姫野 星奏の関係は、終始「一方通行」であったということです。
確かに洸太朗と星奏は、お互いを想い合って行動し、想いを伝えることは欠かさなかったと思います。しかし、本当にそれが相手のためなのかどうか革確信を得ずに、言葉を尽くさなかったために、それぞれ慮って行動していたのは、「相手の虚像」のためだったということです。
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お互いを見つめ合っていた二人が、同じ方向を見つめることができなかったこと、それは二人の間で誠実に「言葉を尽くさなかった」ことに尽きます。
よって、お互いはお互いの虚像に恋をし、想いを尽くし、愛が実らなかったのではないでしょうか。
4.いや、でもさあ、現実は…
かといって、お互い言葉を尽くしていたと思いこんでいても、現実、お互いがお互いを理解し合えているみたいな、理想的な状態を作り出すことは本当に難しいことだと思います。
「言葉」その背後には「意味」があります。
「言葉」その伝え方で「意味」は変化します。
「言葉の意味」は人によって捉え方が変化します。
それでもなお、お互いを理解しようと思う努力って、お互いに持っていないといけないんではないでしょうか。それは辛抱強い試みであるし、現実的に対処しないといけないことです。
5.自分がギャルゲーに求むべきこと
姫野星奏は、私の心に少々涼しい風穴を開けてくれました。
いまでもしくしくと疼きます。
“二人の人間が愛し合えば、ハッピーエンドはあり得ない。”
という言葉はアーネスト・ヘミングウェイの言葉ですが、二人が愛し合った先というのは、たいていのギャルゲーでは描かれない部分であります。
告白して、デートイベントがあって、ちょっとHなことをして、二人は幸せに暮らして終了、、、なんて、必ずしもあるわけ無いじゃないですか。そんな紋切り型のギャルゲーは、自分は願い下げです。ぜったい別れますよ!10組中何組かは!
ギャルゲーを通して「恋」の性質が知りたい。
ギャルゲーを通して「愛」の本質が知りたい。
ギャルゲーを通して「性」のエゴが知りたい。
そんな、贅沢な欲望を満たしてくれるギャルゲーを今後も探し求めています