VRアイドル「えのぐ」をみて、初心者がイラスト描き始めるまでの話
VRアイドル「えのぐ」に初めて出会ってから1週間が経って、初期衝動の中でえのぐ関連のいろんなコンテンツを摂取している。
自分はいつもそうなんだ。
何を始めるにも最初は猛烈に調べ、勉強し、情報を得て、投資をして、いろいろ買い揃えるも最後は飽きてしまう。
今回もそうなんだろうか。いや、そんなのはどうだっていいだって今が楽しいんだから。
1.絵を描き始めたこと
今回、新しく始めたことがある。
イラストを描くことである。
これは自分が「えのぐ」と出会ったことと関係しており、自分の中では一貫性をもった出来事だ。
ちなみに自分の絵の実力はというと「ほとんどゼロに近い初心者」だ。
全くのゼロではないのは、大昔に絵を描こうと志して、1ヶ月くらい「Pose Maniacs」(ポーマニ)と「ヒトカク」で練習していたことがあるからだ。
※大昔はポーマニ、ヒトカクとルーミス先生くらいしかイラスト勉強するツールなかったと思う
絵の練習は辛く厳しい。だから長続きしなかった。
続けても続けても全く思った通りの線が描けない。形がわからない。
まるで、ジューシーなハンバーグを食べたいのに、ひたすらパサパサの缶パンを噛み砕いているような辛さだった。
「なんだったら絵って自分が描かなくてもいいんじゃないですか?他に綺麗な絵を描く人、星の数ほどいるし。」
割と最近までこう思ってたし、絵が描ける人を応援した方が良くない?と思っていた。
絵を描くのが長続きしなかったのは、楽しいと思えなかったからだ。
楽しいと思えなかったのは、明確な目標がなかったからだ。
だけど、「えのぐ」に出会って、もう一度やってみようという理由ができた。
2.本物を象るということ
2月12日のライブを観て強い印象を受けたのは、
モニター上に映るえのぐメンバーよりも、
それを囲んで異様に盛り上がるオーディエンスの方だったと思う。儀式めいた光景だった。
モニターに映るのは、光の点の集まりでしかない。
光の点が集まって、人に見えているだけだ。
でも、確かにそこにいるように思える。
そこにいると思い込んでいるだけの集団幻想だ。
その集団幻想を作り出しているのは、
紛れもなくオーディエンスの一人一人の熱だ。
3DCGの体は不自由が多いだろう。不完全だ。嘘でしかない。
「でもここにいる人たちは、嘘を本当にしようとしている。」
「バーチャル、だから何?」
それは「嘘」を「本物」にする。それは「不完全」を補う。それは「どこにもいない」を「そこにいる」にする力だと思った。
3.描ければ会える?
ライブの後、唐突だけどそう思った。
だから描くことにした。
脳内の線を正しく繋げば、
「どこにもいない」を「そこにいる」
にできるのではないかと。
そのためには、「自分」が描く必要がある。
自分が描かなければいけない理由ができたのだ。
自分のなかの「えのぐ」を顕したいと願った。
とりあえず描いてみた。
![](https://assets.st-note.com/img/1708430059828-LmjPFP9zyb.png?width=1200)
違う違う違う!これは違う!
全然正しい線じゃない。
鈴木あんずさんではない。
あまりに悔しくて涙すら出る。
悔しくて悔しくてこの絵のpostを消したくなる。
イザーク・ジュールが額に負った傷のように、
見る度にジクジクと心が痛む。
だが、イザークが額の傷を消さなかったように、
自分もこの絵を今後の反省として消さないことにした。
いつか正しい線を引いて、鈴木あんずさんに会えるようになるのだろうか。わからない。
4.現在
ルーミス先生の愛のある指導を受けている。
「やさしい人物画」と言いつつど素人には鬼畜でしかない。
![](https://assets.st-note.com/img/1708430440143-kmAWKUcm4l.jpg?width=1200)
あと、hidechannelさんの動画をよく見る。
人体の比率や構造から入るのが自分的にわかりやすくて良い。
そうしたらなんか少し楽しくなってきたような気がする。
「あ!肘ってここにあったんだ!」
と言いながら脇腹をガシガシ肘で突き、
唐突に脚や腕を折り曲げてみたり、
そしてじっと手を見つめたりしている。
人体の再発見だ。