人生の所信表明
意外に思われますが、
私は年始の目標を立てるのが苦手です。
なぜなら人生トータルでの目標を決めていて、その目標に向かって前進している実感がありさえすれば、年単位の目標はあまり気にしていないからです。
年単位の目標とかいらなくない?というのが持論です。
(必要な人はあっていいと思います。)
幸せな個人と組織を増やし、次世代が希望を持てる社会に近づける。
これが、私の現在の人生目標です。
現在と書きましたが、
25歳から4年間この目標は変わっていません。
なぜこの目標にいきついたのか。
普段から語ってはいるのですが、年始の目標の代わりに
今回あらためて文章に残しておきたいと思います。
人生に意味を与えるのが自分自身なら、私は自分の人生にどんな意味をもたせたいだろう
詳しくは下の記事に譲るとして
私はこれまでの人生の半分以上、
残念ながらあまり幸せを感じられない人生でした。
そして、なんのために生きているのかわからなくて苦しかったとき、さまざまな哲学書にふれてたどり着いた結論は「人生に意味はない」ということです。
悲観しないでください。
意味がないということは、
「意味を自由に与えて良い」ということでもあります。
じゃあどんな人生であれば、
自分の人生に意味があったと思えるのでしょうか。
最後の瞬間に「よくやった」と自分を肯定できるのでしょうか。
忘れられなかった親への一言
その後、紆余曲折を経て、晴れて、
幸せだなぁと心から言える私になれました。
ただ、高校生の時に自分の両親に
「生まれてこなければよかった」
と言ってしまったことだけは、
ずっと胸にひっかかっていました。
なんてひどい言葉を投げかけてしまったんだろう。自分が親になることを想像したときに、最も言われたくない言葉だと思ったんです。
私は、もう自分の人生に十分満足していて
いつ死んでも後悔をしないと思っています。
じゃあ残りの人生、
どんな人生を送り、
自分の命を何に使いたいのか。
次世代が希望を持てる社会を残したい
それを考えたときに自然と出てきたのが、上記でした。私の人生に意味を持たせるとするなら、次世代にバトンをつなぐことなんじゃないか、と。
どのようにしたら、そんな社会を残せるのでしょう。
私が仕事やさまざまな経験を通じて出した結論は、自分の人生が満たされ、他者の人生を満たす余裕のある個人が増えること。そして、そうした人々の受け皿となる優れた組織があること、でした。
社会とは個人と組織の集合体である。
幸せな社会をつくろうと思ったら、幸せな個人と組織を増やせばいい。
幸せな個人を増やそうとしても、制度や仕組として不幸になる人が生まれるなら、幸せな個人と幸せなシステムを持った組織創りの両方を同時に進めていけばいい。
そう考えました。
幸福学で個人を、人事として組織を。
これが、私が人事を仕事にしている理由です。
幸せな個人と組織を増やし、次世代が希望を持てる社会に近づける
あらためて、これが私の人生ミッションです。
ちなみに、なぜ残すではなく近づけるにしたのか。
ここには自分の非力さと歴史への敬意を持たせています。
人類の歴史を振り返っても、人間1人にできることはそんなに多くないと思っています。だから私の人生の時間で社会を大きく変えることはできなかったとしても、発信をやめないこと、活動をやめないことで次世代にバトンをつなぐことができると考えています。
そして、そうした社会の実現に向けて、1mmでも歩を進めることができるなら、私は自分にいつどんなことがあったとしても、自分の人生に1mmも後悔しないと考えています。
1番コミットするのは自分自身の幸せ
私はある意味の偽善者です。
人に優しくするのも、利他であろうとするのも、
すべては自分が好きな自分でいたいからです。
誰に認められなくても、自分で自分の価値を認められること。それは周囲に流されない強い幸福感をもたらしてくれます。
ダイエットを指導する人がメタボリックだったら、そんな人から指導を受けたいでしょうか。説得力ないし絶対に嫌ですよね。
それと同じで、私の人生の目標が幸せな個人と組織を増やすことなら、私は誰よりも自分が常に幸せでいることにコミットするべきだと考えています。
どんな状況でも常に幸せでいる。
これはとても難しいことです。
でも自分自身に課しているタスクだと思っているので、どうしたら幸せでいられるのか?を常に考えるようにしています。おかげさまで、最近は自分が常にご機嫌でいるためのいろんな方法が身についてきました。周囲にもその方法をシェアしていけるようになってきました。
だからこそ変わらず2021年の目標は、
・とびっきり幸せな自分でいること。
・幸せな個人と組織を増やす活動をしていくこと。
引き続きこの2つにコミットしていきたいと思います。
以上、本年の目標でした!