嫌われるとか、好かれるとか①
人に好かれる人がいる。
一方で、人に嫌われる人がいる。
少なくない例外があることは承知の上で、私は基本的には人間関係の中で、「片思い」はないと思っている。
ここでの「片思い」は恋愛感情に限ったことでなく、もっと大きな「好意」というニュアンスである。
吉本隆明氏も似たようなことを言っていたような気がするが、どこで言っていたのか思い出せない。
自分が誰かに好意を抱いているとき、その誰かもきっと自分に好意を抱いている。
逆に自分が誰かを嫌っているとき、その誰かもきっと自分を嫌っている。
共鳴するとはそういうことで。
人と人との間に生まれるものというのは、どちらか片方が担ぐものではなく、二人で共に抱えるものである。
でも、人間が抱く、「好き」とか「嫌い」とかいう気持ちは単純なものではない。
人間は社会的な生き物である。
だから、内的には「好き」な気持ちがあったとしても、外的な要因(例えばその誰かの悪い噂とか、社会的な地位とか)で「嫌い」と思ったりする。
逆に、内的には「嫌い」な気持ちがあったとしても、外的な要因(例えばその誰かが人気者であったりとか、社会的な地位とか)で「好き」と思ったりする。
だから、純粋に内的なものだけを取り出せば「両思い」であったとしても、結果として「片思い」の状態が生じることは多い。
例外をいくつか挙げてみる。
何らかの要因によって、人と人の間に何かを生み出すことが難しい状態にある人がいる。
そのような人は、共鳴が難しい。
一緒に感情を共有することが難しい。
したがって、相手がどう思っていようと関係なく、自分の気持ちを優先することとなる。
それは純粋な「片思い」と言える。
一度も会ったことがないテレビのタレントやアイドル、アニメのキャラクターに対して恋をするのも「片思い」である。
それは、自分の心の中の「理想」を、彼らに投影して、それに恋をしている状態。
生身の他者と共同で生み出したものを抱えるという作業ではない。
二者間の関係の作り方とは異なる、言わば自分一人でコミュニケーションが成立している状態であるため、これも純粋な「片思い」と言える。
会えるアイドルを考案した秋元康。
彼は、ファン層を根本的に変えた。
「片思い」を軸にしたビジネスに、「両思い」という新たな軸を持ち込んだ。
次回に続く