よくわからないもの
人に伝わらなくて、落ち込むことはやっぱり多い。
人前で話すと、毎回伝わらなくて落ち込んでいるような気がする。
毎回毎回そんなふうに落ち込むから、これは何か考え方がずれているのかもしれないと思ったりする。
どんなふうにこの現象を捉えればいいのだろう。
自分がなぜ心理学に惹かれたかというと、「よくわからないから」という部分が大きいように思う。
これまで、偉大な心理学者やカウンセラーたちが、こころについて、それぞれの語り口で語ってきた。
こころについての本も山ほど出ている。
それら偉大な心理学者たちの本を読んでも、やっぱり「よくわからない」。
現場でカウンセリングをしながら、研究もして、論文も書き、それでもやっぱり「よくわからない」ままである(大学生の時よりは、ほんの少しはわかったと言いたい気持ちもあるけれど)。
そんな、こころのことをよくわかってもいない自分が、「よくわからない」こころのことを、周囲の人に伝えようとする。
それで伝わらなくて落ち込むということ自体が、なんだかナンセンスなことのように思えてきた。
「よくわからない」からこそ、魅力的に映ることもある。
それは、自分が最初に心理学を魅力的だと感じた理由が「よくわからない」だったから、その気持ちはよくわかる。
ただ、人によっては、「よくわからない」という理由で、それを価値がないとする人もいる。
「よくわからない」ものを避けたいと思う人は、一定数いるような気がする。
「よくわからない」ものに対しても、強引に、「よくわかる」ものに変換して、わかった気になろうとする人がいる。
そういう人たちに対しては、そういう人たちが理解しやすいように、こちらが物事の提供の形を変えてあげることも必要かもしれないと思うようになった。
「よくわからない」ものを、わかりたいのは自分で。
「よくわからない」ものを、「よくわかる」ものに変換したい人がいるということ。
自分が追求したいことを相手に求める必要はない。
相手が理解したいように届けるということ。
それもひとつの方法であり、社会とコミュニケートするためのやり方かもしれない。
自分のやりたいことを、相手に求めるようなことはしないでおこうと感じた月曜の朝。