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グループ箱庭考察〜その1
最近よく、グループ箱庭を提供させてもらう機会をいただく。
同じ箱庭を使うにしても、1対1で行う個別の箱庭とは別物だなあと感じる。
でもそれはそれでおもしろい動きも出てきたりして、サブテーマの一つとして追及していきたいという思いはある。
グループ箱庭については、岡田(1991)の論文が出ており、そこでは以下のような手順が示されている。
①4~5人でひとつのグループを作る。
②各メンバーが玩具を原則として,ひとつづつ置く。
③一巡すると,そこでインスタントカメラで写真をとる。
④制作時間は30~40分間をめどにし,あるいは,置く回数を4回~ 6回をめどにして,立合人がどちらかの限界に近づいた時,ラストー周を宣言する。
⑤すでに置かれている玩具を棚に戻すことは禁止されている。しかし,箱の中で,玩具の位置を移動させることは許される。
⑥制作中は無言で,お互いの意図を話し合ってはならない。
⑦最後の人が置いてから,付加として,何か作品に手を加えることは認める。
⑧制作が終った後,ィンスタントカメラの写真を並べて,過程を反すうしながら,その時感じていたこと,意図していたことなどを,立合人も入れて,徹底的に話し合う。
この岡田(1991)のやり方をベースとして、ワークショップのたびに少しのアレンジを加えて、グループ箱庭の可能性を探っている。
先日のワークショップでは、2回グループ箱庭を実施してもらい、1回目は上記の岡田の手順で、2回目は、こちらからあるテーマを与え、そのテーマに基づいてグループで箱庭を制作してもらった。
ワークショップ終了後の感想として挙がったのが、「テーマがないときの方が不思議とまとまっていて、テーマが与えられた方がまとまりがないものになった」というものであった。
これはどういうことなのだろう。
グループ箱庭では集団へのアプローチの仕方が現れる。
たとえば、自分から積極的に他者にかかわろうとするのか、あるいは、自分のエリアのみを充実させようとするのか、あるいは全体のストーリーの整合性を取ろうとすることに注力するのか、それは人によってさまざまである。
それでもほとんどの人が、他者を意識し、他者と何かを作り上げるということに意識が向く。
フリーでグループ箱庭を行うときには、作りながら「これはなんだろう?」ということを考え、何ができていくかということに目を向けながら制作をしていく。
一方、外部からテーマが与えられたときには、他者への意識は少し薄くなるように思われる。「自分-他者」のつながりに加え、「自分-テーマ」のつながりが生じる。
制作時に、どちらの要素が自分に強く働きかけるかは、人によるかもしれないが、少なくとも「自分-テーマ」のつながりが入ってくるということ。
そうなると、「自分-他者」のつながりが、フリーで作るときよりも弱くなり、それぞれのメンバーの「自分-テーマ」のつながりが箱庭の中に表現され、結果としてまとまらないものになってしまったということは考えられる。
満足感はどちらの方が高かったのだろう。
その点についてはインタビューができていないが、今後もし同様の試みを行うときには聞き取っておきたい。
会社などの組織の中では、外部からテーマが与えられることがほとんどである。
何か問題や課題(テーマ)があって、それを解決するためのメンバーが集められて、議論しながら解決策を練り、その解決策に基づいて計画を策定し、実行する、という流れ。
今回のグループ箱庭を単純に当てはめて考えるなら、それでは結果としてまとまらないものになってしまう可能性がある。
そうではなく、メンバーが集まって、テーマを決めずにとりあえず動いてみて、動いてみる中からテーマが立ち上がってくる、という流れの方がまとまる可能性があるということ。
でも、会社などの組織の中で、テーマを決めずにとりあえずメンバーが集まるなんて流れは聞いたことがない。
最近では、そういうチームのあり方を検討しているところがあるようだけれど、まだまだ少数派であろうと思う。
個が集まった集団、ということではなく、集団を集団として捉えて、その集団がどのように動いていくかという視点で、グループ箱庭を見てみたい。