嫌われるとか、好かれるとか⑥
「嫌われるとか、好かれるとか」について。
今日は6回目。
そろそろまとめに差し掛かっている、ような気がする。
前回までの記事は以下から。
世界と「両思い」になるための能力は、母子関係の中で作られる
前回の記事で、世界と両思いになるためのベースは、母子関係の中で作られると書いた。
しかし、世の中には、不幸なことに、十分にお世話をしない母親も存在する。
不快な状態の時に、赤ちゃんが泣いて助けを求めるけれど、快の状態に移行させてはもらえず、無視をされたり、逆に攻撃されたりすることがある。
そんな風に育てられた子どもたちは、「こんな親はダメだ」と、あるいは「親ガチャが外れたのだ」と、早々に親を否定して見切ることができるか。
そんなことはできない。
自分が世界を理解するための枠組みが母親によって与えられるのであるから、その世界を否定するための論理を、子どもたちは持ち合わせていない。
虐待を受けて育った子どもたちは世界をどう捉えるか〜「片思い」を成立させられる子どもたち〜
不適切な養育の中で育てられた子どもたちは、どのような枠組みで世界を見るようになるのか。
子どもたちは、虐待を受けたとしても母親に対する愛情を持っている。
母親から攻撃を受けたり、無視されたりするのだけれど、それでも母親に好意を寄せる。
自分が世界に対して好意を向けたり、助けを求めた結果として、世界からの攻撃が返ってくる。
それを繰り返すことで、どのような枠組みが形成されるかというと、好意に対して、無視されたり、攻撃されたりすることが自然だと思うようになっていく。
好意に対して、好意が返ってくることで安心するのではなく、好意に対して無視されたり、攻撃されたりする方が安心するという在り方。
母子関係の中で、そのような不安定な愛着が形成されていく。
これはいわゆる「両思い」の状態ではない。
不安定な愛着を形成してしまっている人。これは、悲しくも、相手から無視されたり、攻撃されたりしても、好意を寄せ続けられる、純粋な「片思い」を成立させることのできる人なのである。
それは言い換えれば、世界に対して「片思い」の状態になってしまっている人であり、「片思い」の状態の方が安心する人。
そのような人は、自分が好意を寄せることに対して、無視されたり、攻撃されたりすることが安心するという人間関係の持ち方をしているということである。
「人に嫌われる人ってどんな人だろう」という問いから始まった今回のシリーズ。
人に嫌われる人。
それは、『人(世界)に嫌われる方が安心』という関係の持ち方をしている人であった。
「両思い」の世界に生きるには
では、赤ちゃんの時に母親との間に不安定な愛着が形成されたら最後、一生「両思い」の状態にはなれないのかというと、それは違う。
不安定な愛着は、一旦形成されたら、一生継続するものではない。
ある研究によると、乳幼児期に形成された愛着の形が、大人になっても継続される確率はおよそ7割というものがある。
乳幼児期に形成された愛着が大人になっても継続されることは多いのだけれど、逆に言えば3割の人は、愛着の形を変化させられるということである。
では、「片思い」の世界から抜け出し、「両思い」の世界に生きられるようになるにはどうすれば良いのか。
次回、そのようなことを書いて、このシリーズのまとめとしたい。
お時間のある方は是非、よろしくお願いします。