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前回までの話
世の中には、
自分の心が服に表れている人と、
自分の心が服に表れていない人がいる。
自分の心が服に表れている人は、
その人がイメージするその人自身(自己イメージ)と、その人が着ている服がぴったりと一致している人であり、
それは服が似合っている人である。
逆に、自分の心が服に表れていない人は、
その人がイメージするその人自身(自己イメージ)と、その人が着ている服が一致していない人であり、
それは服が似合っていない人である。
「服の似合わなさ」は絶対的なものではなく、
『今現在「服が似合わない」状態にある』という状態像である。
そしてその「服が似合わない」状態は、自己イメージと服の不一致が、違和感を醸し出している状態である。
そして、自己イメージと服の不一致は、すなわち自己と経験の不一致であり、
それは、不適応を引き起こす可能性を持つ。
【服が似合わない】という呪い
自己イメージは、他者によって作られるということを、前々回の記事で書いた。
再度振り返ってみたい。
特に養育者(多くは母親)との関わりによって、自己イメージの雛形が作られる。
養育者から、
「あなたは服が似合わない」
「あなたは何を考えているかわからない」
という言葉の呪いを浴びせ続けられて育った子どもは、
服に自分の心を表すことができなくなる。
つまりそれは、
常に、
自己イメージと服が不一致の状態にさせられているということで、
服が似合っていない状態にあるということで、
不適応につながりやすい状態にあるということである。
服が似合うようになるために〜養育者の言葉から自由になる〜
養育者の言葉の呪いによって、
服が似合っていない状態にさせられている人に対しては、
養育者の言葉から自由になるようなアプローチが有効と考えられる。
養育者の言葉から自由になるためのアプローチは、カウンセリングが得意とするところである。
具体的なやり方としては、
セラピストへ向かう感情の理解を通して、親との関係を洞察するような精神分析的なやり方もあれば、
身体の感覚に目を向けながら整理していくようなソマティックエクスペリエンス的なやり方もあれば、
いつも沸き起こってくる機能的でない考え方を修正していくような認知行動療法的なやり方もある。
やり方としては自分に合った方法を選択すれば良いのだけれど、いずれにしても目指すところとしては、養育者の言葉から自由になるというカウンセリングを行うということである。
養育者からの言葉の呪いによって、不一致の状態にさせられている人を、一致している状態にする、ということである。
カウンセリングで、自己イメージと服が一致している状態、すなわち服が似合っている状態にしていくということである。
これは、ダサい人がオシャレになるとか、垢抜けた状態になるとか、そういう話ではなく、服が似合う状態になって、元気になる、という話である。
たとえば、10年くらい前に話題になっていた秋葉系ファッションの人たちは、私としてはすごく自己イメージと服が一致しているなと感じていたけれど、社会的にはオシャレとは言えないかもしれない。
けれど、当人が元気であればそれで良いのである。
大切なのは、養育者の言葉から自由になって、自分が満足できること。
そして、元気に生きることである。
服が似合わない人が元気に生きられるようになるために、
私はカウンセリングが有効と考えている。
次回予告
今回は、個人内の不一致に対するアプローチについてまとめた。
次回は、他者との間に表す服というところに焦点を当てていきたいと思う。
お時間のある人は是非、よろしくお願いします。