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何のためのカウンセリング

いろいろなことを思う。

落ち込むこともあるし、幸せを感じることもある。

落ち込んだときは、落ち込まなくて済むように、次は準備をしようと思う。

でも、どんなに準備をしても、落ち込むものは落ち込む。

精一杯やったから、後悔はありません、という言葉は、果たして本当だろうかと思う。

少なくとも自分は、精一杯やったことでも、同じように後悔する。

「それは頑張りが足りないだけだ」と言われたらそれまでだけれど。


カウンセリングをして、自分みたいに落ち込むような人を、落ち込まないようになんてできるのだろうか。

そんなカウンセリングがあるなら、自分が受けてみたいと思う。


自分は、落ち込んでしまう人を、落ち込まないようになんてできない。

ただ、話を聞くことしかできない。

話を聞いたら、少しは気持ちが楽になるのだろうか。

話を聞いてもらうことで、心の靄がパアッと晴れるような、そんな類のものでもないような気がする。

即効性があるようなものではないけれど、じわっと効いてくるような、そんな感覚。

それも、何度も何度も顔を合わせて、話を聞いてもらうことで、少しずつ蓄積されていくような、そんな類のもの。

それは、タイパとか、コスパとか、即時性を求めるような、そんな時代にはそぐわないものなのかもしれない。

だけれど、人と人が向き合って、きちんと「話を聞いてもらう」ということは、人間という存在にとって、必要なものだという信念がある。


時代にそぐわないものに人生を賭ける。

もしかしたら、もっと、楽な道もあったのかもしれないけれど、「自分にとって、これが大切だ」と信じられるものに出会えたというのは、ただ楽な道を進むよりもずっと、自分にとっては楽な道のように思える。

周囲にわかってもらえないことに対しては落ち込むし、つらいことも多いけれど、そんなこんなで幸せに生きられているように思う。


カウンセリングでやりたいことも、そういうことなんじゃないかと思う。

落ち込む人を落ち込まないようにすることなんてできないし、効率の良い人生を提案することなんてもちろんできない。

それでも、自分が今やっていることは、価値があることだと思える。

話を聞きながら、クライエントがそんな風に思えたら、そのカウンセリングは価値があることなのかなと思う。


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