自分が小さい頃から使ってきた古い棚に、祖母の家からもらってきたミニチュアを並べる。
その棚には、その時々で、さまざまなものが置かれた。
家族の写真や、ぬいぐるみや、サッカーボールや、子どもの紙オムツが置かれたりした。
その棚は今、塗装が剥がれていたり、扉が外れていたりして、形は少し変わってしまった。
ミニチュアは祖母の家にあったもので、そのミニチュアの多くは、20年ほど前に死んだ祖父が集めたものらしい。海外旅行先で買ってきた何やらよくわからないものや、日本各地の伝統工芸品のような人形もある。
それらのミニチュアを棚に並べながら、自分が小さい頃に宝物箱にしまっていたガラス細工の置物や、恐竜の形のキーホルダーのチャームなども置いていく。
そして、新しく購入したミニチュアも置く。
自分の幼い頃の記憶と、祖父母が旅行中にミニチュアを買っている場面のイメージと、まだなんの色もついていない新しいミニチュアとがひとつの棚に置かれる。
それらは混ざり合うことなく、それらひとつひとつが一個の単体として、そこに存在しているように感じられる。
祖母の家に行くたびに、いくつかのミニチュアをもらっては、また棚に並べる。
妻の祖母は、老人ホームに入っていて、家には誰も住んでいない。
その妻の祖母の家に入らせてもらって、ミニチュアをもらっては、また棚に並べる。
セラピーの中で子どもと一緒に粘土で作ったミニチュアも、ジオラマのパーツをくっつけて作ったオブジェも、棚に並べる。
子どもが家から持ってきた手作りの剣も、棚に並べる。
自分の子どもが遊ばなくなったおもちゃも、棚に並べる。
棚に、色が重なっていく。
それらの色はすべて、自分という存在と確かに触れ合ったもの。
相談室は、いまだ未完成で、次々と変化していく。
ずっと完成しないのかもしれない。
出会いがあるたびに、変化し続け、また次の出会いを待つ。
家族からは、「なんか暗いよね」「なんでこんな気持ち悪いのを並べるの?」と不思議がられる。
そんな家族の疑問に、うまく答えることはできない。
ただ、これまでの祖先がつないできた歴史と、自分がこれからやりたいこととの間に、今、ここにいる自分が、ぴったりと位置づいたような気はした。