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言葉が通じない人たちとつるむ
いろいろな人が、いろいろな助言をくれる。
どの助言もありがたくはあるのだけれど、人によって言うことは違うから、すべての助言を聞こうとすると、自分という存在が分裂してしまう。
カウンセリングのことであれば、自分の中にもう、ある程度の軸があるような気がするから、自分に都合の良い助言だけを聞いて、自分にそぐわないものは聞き流したりできる。
ただ、カウンセリング以外の、たとえば経営のことなんかになると、どの助言を聞いて、どの助言を流せばいいのかということがよくわからないから、自分という存在が分裂してしまいそうになる。
カウンセリングについて学び始めた時も、同じような感覚だったなあということを思い出す。
いろいろな勉強会に行って、どの勉強会で言われることも正しいような気がして、自分の中に軸がないことに苦しんでいたように思う。
今は、カウンセリングについては、少しだけ、自分の得意なことや、自分の好きな方向性というのが見えてきたような気がする。
それがなんとなく見えるようになるまで、どれくらいかかっただろう。
少なくとも5〜6年はかかったように思う。
これから、経営のことについて、なんとなくぼんやりと理解できるようになるまで、少なくても5〜6年はかかるのだということを考えると、少しうんざりする気持ちもある。
カウンセリング界隈でだけ生きていれば、自分という存在が分裂しそうになることはないし、聞きたくないことは聞き流すことができる。
それでも、そうじゃないところに身を置こうとするというのは、それが苦しいけど楽しいというのがあるのかもしれない。
うまく言語化できないけど、なんとなく、言葉が通じない人たちと、きちんとつるんでいようと、ふと思うことがあった。
自分の言葉が通じる人たちだけでつるんで、言葉が通じない人との関わりを絶っていくということが、なんとなく自分にとって、危険なことのような気がした。
そもそも心理士なんて、共通言語をもたない人たちの中で、どう存在意義を獲得していくかということが大きなテーマである存在なのだから。
言葉が通じない人たちを断ち切っていくということは、心理士として生きるための努力をやめるようなものだなあと感じたのかもしれない。