愛着理論において、
赤ちゃんは、
重要な養育者(多くは母親であるため、以下では「母親」とする)を
安心の基地として、
探索活動をすると言われている。
外の世界は、
自分が知らないことがたくさんある世界。
すごくワクワクするし、
好奇心が満たされる世界。
けれど一方で、
外の世界には危険がたくさんある。
一旦外の世界に出てしまうと、
そこで起こるのは予想外のことばかり。
予想外のことばかりで、
傷つけられることも多い。
そんな外の世界を探索して傷ついた心や体を、
赤ちゃんは母親に癒してもらう。
安心の基地(secure base)である母親のもとに帰ることで、
赤ちゃんは精神的にも体力的にも回復するのである。
外の世界を冒険しては傷つき、
傷ついては母親のもとに帰って回復することを繰り返すことで、
自分の心の中に母親の像ができてくる。
心の中に母親の像を作ることで、
現実に母親がいなくても、
自分の心の中の母親のところに帰ることで、
自分で自分を回復させることができる。
愛着理論では、
ほぼ例外なく全ての人間に
上記のような機能が備わっている、と考える。
何らかの影響で、
この心の中の母親に癒してもらうという機能が、
うまく形成されなかった場合、
私たちは外の世界での傷つきから
回復することができず、
さまざまな不具合が起こってくる。
不具合は、
うつや引きこもりなどの
心理的な症状として現れるかもしれないし、
身体症状に現れるかもしれない。
リストカットや万引きなどの行動に
現れることもあるかもしれない。
この愛着理論が人間のベースにあると考えるなら、
人間は、安心の基地を心の中に持ちながら、
常に何らかの探索活動をするということが、
自然な形かもしれない。
探索活動をしたいという欲求が湧かず、
安心の基地にとどまらざるを得ないというのは、
それは人間として
ストレス過多な状態ということかもしれない。
山に登る人たちが、
山に登る理由として、
「そこに山があるから」
と答える。
危険を冒して山に登って、
帰ってきて精神と体力を回復させて、
また危険な山に登る。
危険を冒して山に登るなんて、
なんでそんなことをするのだろう、
しかも理由もよくわからないしと、
長らく思っていたけれど、
愛着理論という視点から見ると、
これが実は、
人間の自然な形なのかもしれないと感じた。
私も今度、
以前から気になってはいたけど入れなかった
個室ビデオ屋さんに入ってみようと思う。
なぜって?
それはもちろん、
そこに、
個室ビデオ屋さんがあるから。
(そして愛着理論の後ろ盾も。)