服と心の不一致
心は、人と人との間に表れる。
服は、心の一部を表しているものである。
だから、心と同じように、服も、人と人との間に表れてくるものであり、目の前の人との関係性によって表れる服は変わってくる。
前回はこのようなことを書いた。
でも、よくよく考えてみると、服に心が表れていない人もいるんじゃないかと考え直した。
世の中にはきっと、服に心が表れている人と、表れていない人がいる。
自分が思う、自分のイメージ
人はそれぞれ、自分のイメージを持っている。
「自分はこういう服を着る人」
「自分はこういう髪型の人」
「自分はこういうメイクをする人」
「自分はこういうふるまいをする人」
…
その人がイメージするその人自身と、その人が着ている服がぴったりと一致している人の場合、服はその人の心を表していると言える。
自分が表現したい心の一部が、服に表れているのだと思う。
しかし、そこに不一致を感じている場合は、服にそのまま心が表されているとは言えない。
その人が着ている服には、その人の心は表されていない。
心は表されていないが、そこには違和感が表れる。
なんとなくぴったりしていない感じがそこに醸し出される。
なんとなくぴったりしてない感じは感じることができるけれど、ではこの人がどのような心を表現したいのか、ということについては詳しく捉えられない。
そのような、服と心が一致していない人、つまり服に心が表れていないような人は、結構な割合でいると感じている。
服は心を表す
少し戻ってしまうが、そもそも、なぜ服は心の一部を表していると言えるのか。
服だけが唯一心を表しているというわけではなく、人は、心をさまざまな形で表現する。
自分の心を表現するものとして、髪型や服装、メイク、ふるまい、言葉遣いなど、さまざまなものが挙げられる。
服はそのような、さまざまな中の一つではあるが、中でも心が表れやすいものではないかと思っている。
服は、性別に関係なく、誰もが着るものであり、
着る服は、毎日自分が選ぶものである。
だから、どんな人にとっても、その日その日のタイムリーな自分の心が表れやすいものではないかと思う。
ただ、先に述べたように、うまく自分の心を服に表すことができる人と、自分の心を服に表すことができない人はいるような気がする。
次回予告
服と心の不一致。
服と心の共通点。
服を通した臨床心理学的な心のサポート。
次回以降は、こんなことを書いていきたい。
お時間のある方は是非、よろしくお願いいたします。
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