加害者の被害者性と、被害者の加害者性
「被害者の加害者性」と、「加害者の被害者性」について考えさせられることがあった。
加害者の再犯防止プログラムを担当していると、加害者が自分の被害について語ることは多い。
「自分がやったことを棚に上げて、自分が被害を受けたことばかり話すな」
というふうに思う人はいるかもしれない。
特に、被害を受けた方に関しては、そのように思われるのも無理はないし、自分も被害を受けたとしたら、そんな風に思うだろうと思う。
しかし、加害者の中の被害者性は、彼らの中に事実としてあるということ。
一方で、被害者の中にも加害者性がある。
被害者グループの中では、時折驚くような攻撃性が表現されることがある。
グループという安全が保障された場においては、自身の感情を抑圧せずに表現するということが推奨される。
そこに異論はないのだけれど、被害者の中の加害者性も、彼らの中に事実としてあるということ。
加害者の中に被害者性があり、被害者の中にも加害者性がある。
加害者は、例えば刑期があったとして、それを終えたら自分の犯した罪がチャラになるというわけではない。
被害者も、加害者が罰を受けたからといって、心の傷が癒えるわけではない。
でも加害者も、被害者も、加害−被害にとらわれている限りは、自分の人生を歩めないように思う。
人は誰しも、自分にとってのホットなテーマがあり、それに真摯に取り組めることが、良い人生だと私は思っている。
犯罪に手を染めてしまうのも、自分にとってのテーマに取り組めなくなっている状態にある人が、辛さから逃れたかったり、誤魔化したかったりしたときに、犯罪につながる場合が多いように感じている。
だとするなら、事件の事実や記憶が消えることはないだろうけれど、それを抱えながらも、自分のテーマに取り組んでいくということが目指すところだと思う。
だからまず、加害者の場合には、自分の犯したことを自覚し、事件当時の自分の状態を把握し、なぜそれが起こってしまったかを理解することで、再発防止に取り組む。
その後は、自分のしたことを抱えながらも、それだけにとらわれることなく、自分のテーマに取り組んでいくということが必要である。
ポイントは、加害者の加害者性にばかりフォーカスを当てすぎないこと。
なぜなら、上記したように、加害者の中にも被害者性があるわけで、加害者性ばかりにフォーカスを当てることで、加害者の中の被害者性も賦活され、結果、加害−被害のところに留まらせ続けることになるだろうと思うからである。
加害−被害のところにとどまり、自分のテーマに取り組むことができない状態になると、それは最初に犯罪を犯した時と同じように、再び犯罪を犯すリスクにもなると考える。
一方、被害者についても同様で、被害者の被害者性にばかりフォーカスを当てたり、あるいは、被害者の加害者性を引き起こすことを奨励しすぎることで、逆にそれは、被害者を、加害−被害のところに留まらせ続けることになるだろう。
加害−被害のところに留まらせ続けることで、被害者が自分のテーマに取り組めなくなることは、被害者の人生を損なうことになると思う。
罪を償うということと、加害−被害にとらわれないようにするということのバランスというのはすごく難しいと思うけれど、再犯の防止という点から考えても、加害−被害にとらわれず、加害者が自分のテーマに取り組んでいくということが、有効だろうと考えている。