嫌われるとか、好かれるとか⑤
「嫌われるとか、好かれるとか」について。
今日は5回目。
前回までの記事は以下から。
「両思い」を作り出せる人
「両思い」を作り出せる人。
それは、程度の量はあれ、世界に対して好意を抱いている人である。
「人に好かれる人」というのは、「世界に好かれる人」であり、それは「世界が好きな人」なのである。
つまり、世界と「両思い」の人なのである。
では、どのような人が世界と「両思い」になれるのか。
そこには愛着が関わってくる。
「両思い」のベースに在る愛着
世界と「両思い」の状態にあるということ。
そのためには、個人の中に、
「世界は安心でき、自分を好いてくれるものだと思える」
ことがベースとして在ることが前提となる。
それが作られるのが、母子関係である。
母親(特定の養育者)は、赤ちゃんに対して、見返りを求めずに世話をする。
お腹が空いたり、おむつが気持ち悪かったり、不快な状態になった時に、赤ちゃんが泣いて助けを求めると、すぐにその不快な状態が取り除かれ、気持ちの良い状態(快の状態)に移行される。
赤ちゃんからすれば、不快な状態になった時、なんだかわからないけど泣くだけで、快の状態に回復する、ということである。
そのようなことが繰り返される中で、赤ちゃんは、万能感を身につけていく。
世界は自分の思い通りだと、そのように感じるようになる。
しかし、あるときにふと、気づくことになる。
自分の思い通りだと思っていた「不快」から「快」への移行は、実は自分とは別の誰かによって行われていたのだと。
この時に、赤ちゃんは、自分が好き勝手に周囲を攻撃していたことにも気づき、その罪悪感から一時抑うつ的になるのだと、精神分析家のメラニー・クラインなんかは言っている。
自己肯定感だったり、自分を信じる力だったり、努力とか踏ん張れる力だったりというのは、この幼い頃の万能感タイムのありようが関係しているのではないかと思ったりしているけれど、それはまた別の機会に。
話を戻して、赤ちゃんはこの時に、抑うつ的になるんだけれども、同時に、自分の攻撃を受けてボロボロになりながらも生き残った母親が近くに存在しているわけで、そんな母親を見ながら、そうまでして自分を育ててくれたという母親への感謝の気持ちも同時に持つようになる。
自分は、母親に何も返していないし、むしろ母親に対して攻撃ばかりしていたにも関わらず、自分の攻撃に耐えて母親は生き残り、自分のためにお世話をしてくれていた。
そのような過程の中で、赤ちゃんは自分が無条件で愛される存在だと感じ、「世界は安心でき、自分を好いてくれるものだと思える」ようになっていく。
そうして、世界と両思いになるためのベースが作られる。
不安定な愛着が形成されるプロセス
しかし世の中には、不幸なことに、十分にお世話をしない母親も存在する。
赤ちゃんが、不快な状態の時に、泣いて助けを求めるけれど、快の状態に移行させてはもらえず、無視をされたり、逆に攻撃されたりすることがある。
次回はそのあたりのことを書いてみたい。
お時間のある人は是非、よろしくお願いします。