しっくりくるワタシ
しっくりくるということ
「私は、自分の思いを言葉で表現することができる。」
「私は、自分が思うように身体を動かすことができる。」
「私は、自分に似合う服を選ぶことができる。」
それは、しっくりきている状態。
自分が表現したことに対し、自分でそれがしっくりきているという、そんな状態であるということ。
一方で、自分で自分がしっくりきていない状態のときがある。
カールロジャーズは、
自己と経験の不一致に人は苦しむと言った。
自分が今まさに経験していることと、
自己概念が一致していない時、
人は苦しむという。
たとえば、
自分で自分のことを
「仕事ができる人間だ」
と思っているにもかかわらず、
今現在、周囲から
「仕事ができないやつ」
という評価がなされていると感じている場合、
その不一致に人は苦しむ。
もし、自分で自分のことを
「仕事ができない人間だ」
と評価している人が、
周囲から
「仕事ができない」
と評価される時、
自己と経験の不一致はないため、
そこで苦しむことはない。
(別の面での苦しみはいろいろあるかもしれないけれど)
「自分が表現したことにしっくりこない」というのは、
ロジャーズの言う不一致とつながるところがあるような気がしている。
自分がすることなすこと、
なんだかしっくりこない。
ただ歩くことすらも、
上手くできていないような気がする。
服もなんだか似合わないような気がするし、
こんな風に感じている自分の思いもうまく言葉にできない。
それはある意味不一致の状態であると言える。
何が不一致なのかもわからない。
けれどなんだかしっくりこないという感覚。
そんな感覚の人たちに、果たして何ができるだろう。
まずは自分の状態、自分がなにかしっくりきていないという状態に気付くことからはじまるのかもしれない。
しっくりきていない状態に気付くことができたら、次にしっくりきている状態としっくりきていない状態を比較してみる。
しっくりくるための要因が明らかになってきたら、しっくりきている状態に自分の力で持っていけるように、練習を行う。
これは至極理解可能なアプローチではあるけれど、やはり意識の力に頼っている。
意識の力でどうにかできる人はこのやり方でうまくいくかもしれない。
ただ、意識の力でどうにもならない人に対してはどうだろう。
アプローチを考えるときに、どうしても意識の力を頼ろうとしてしまう。
それこそが、目の前のクライエントの「しっくりこない」感覚を強めているのかもしれない。