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#3 発達障がいグレーの息子が、大人になった話

突然の大病

息子は3歳になったある日、大きな病気になります。
小児がんです。
かかりつけの小児科でいつものアレルギーの採血をした後、驚いた医師から呼ばれて説明があり、そのまま救急車で大きな病院に運ばれることとなりました。
私はただ不安の中、震えながら息子を抱きしめていましたが、当の息子は至ってご機嫌。
なぜなら、普段は見るだけの救急車に乗れることになったから。
母の不安などよそに、顔色は悪いものの、窓を見ながらはしゃいでいます。
命の危機が迫っているのに、無邪気に喜ぶ息子が不憫で、私は思わず涙がこぼれます。それを、見て息子は初めて顔を歪め叫びます。「泣いたらダメー!!」

母が居れば大丈夫

息子は私が泣くことを、極端に嫌がりました。おそらく、安全地帯であるはずの母が不安定になることは、彼の身に危険が及ぶことになる恐れからというのが理由の一つ、そしてもう一つは、やはり共感能力が人より高かったからでしょう。

病院に到着後、すぐに様々な検査が始まり、私から引き離された息子は泣き叫びます。
それでもまた、私の元へ戻ると全て忘れたかのように機嫌が戻ります。
最初は大部屋に入院することになり、検査室からベッドごと移動。大人しくしていたのに、部屋に着いて先に入院してる親子から「こんにちは」と、声を掛けられるともうダメで、「いやーー!!」と大絶叫。
続いて、複数の看護士さんが処置に現れると、それもダメ。  
当時、私は「母親べったりの子なんて、皆こんなもんだろう」と思っていたのですが、周りは違うように感じていたのだと、後になってから気付きました。

周りを拒否した理由

当時の気持ちを息子に聞いてみると、なんとなく状況がおかしいことは理解しているものの、「とりあえず母が居ればそれでいい」で納得させていたそう。
彼にとって、「母」=「家」なのだから、他人が介入してくることは、家の中に無断で人が入って来るのと同じ。それが故に発狂していたとのことでした。
「家」と言っても、カーテン1枚で仕切られた6人部屋なのだから、普通はあり得ない感覚なのだけれど…(笑)

そして、この後、半年に及ぶ入院生活は壮絶なものになります。
幸いにも息子の中の辛い記憶は断片的で、母と二人で長期間を過ごせたことが
「楽しかった記憶として残っている」
と彼は言います。
それが発達グレーの特性のせいなのだとしたら、逆に救われたな、良かったなと思っています。

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