腎血管性高血圧症の経過①
こんばんは。
以前こちらのnoteでも書きましたが、私の息子は1歳9ヵ月のとき、急に入院し、腎血管性高血圧症と診断されました。左の腎動脈が生まれつきか狭く、高血圧・腎機能の異常・高血圧脳症・心筋が厚くなる、といった症状が身体の各所に出て、一次は、間に合わなければ腎臓を摘出する、とまで医者に言われました。
結果、血管は完全に狭窄していた訳ではなかったので、カテーテルで広げ、そこからはみるみる回復しました。それでも、血管自体は完全に広がらず、広げようとしたけど硬くて広がらず、無理にすると破けてしまう可能性があったので、少し狭窄は残った状態ですが、血流は回復しました。
今は4歳になり、定期的に大学病院に通院し、毎日薬を服用していますが、幼稚園や習い事に元気に通って生活しています。
この間の出来事を、箇条書きになりますが、記録としてここに記載します。
この病名はあまり認知されておらず、症例も少ないそうです。息子はたまたま症状が出たので幼い年齢で見つかりましたが、血管の狭窄に気づかず生活し、症状がもっと成長してから出ることも多くあります。その時の状態では、カテーテル手術をしても狭窄を繰り返す、場合によっては腎臓の血管を繋ぎ治す手術をするなど、もっと難易度が高い施術をする必要になることもあるそうです。
以下、時系列で記載します。
■1歳9ヵ月 発症
・クループになり、咳・鼻水の症状、近所の小児科で診断。
・だんだん食欲がなくなり、お茶しか受け付けず、食べても吐くを繰り返す。
・別の小児科・市民病院の救急を受診するも、ただの風邪と診断される。
・ぐったりとだるそうで、夜寝付かず、一晩中泣いている。
・こちらの体力も限界に尽きかけた頃、朝痙攣の発作、救急車で市民病院へ。
・検査の結果、お茶しか飲んでいなかったためか、塩分不足と言われ、1週間入院と診断。
・しかし、その日入院中に血圧を測ると180〜200と異常な数値。熱も42度まで出る。
・主治医に、腎臓に何か問題があるのではと言われ、専門病院となる大学病院への転院を勧められる。
・市民病院入院日の翌日、大学病院へ救急車に同乗して移送。
・大学病院で入院したその日、一瞬機嫌がなおり笑顔を取り戻すも、またぐったりして痙攣発作。
・その日夜遅くまであらゆる検査をするも、原因がわからず。
・大学病院のスタッフが、教授に緊急連絡し、教授による助言により、造影剤を腎動脈から腎臓へ。
・左腎動脈の狭窄が見つかり、原因が判明。
・家で風呂上がりにテレビを見ていたところ呼び出された教授により、病状の説明を受ける。
・「腎臓を摘出する可能性が高い。」と言われ、私・夫・私の両親は絶句。
・皆が絶句して、だんまりする中、「何とかならないのか。他に治療は出来ないのか」と私1人で食い下がる。
・一旦教授が席を離れ、戻ってきて、「まだ血管が完全に狭窄していない可能性があるので、もしかしたら間に合うかもしれない。」と言われる。
・カテーテル手術をするとのことで、大学病院の別院に緊急移送、もう時間は午前1時を過ぎていた。
・私1人付き添い、大学病院別院に到着し、主治医による超音波検査、その間1時間ほど待合で待つ。
・主治医による手術の説明、主治医は決して「大丈夫」とは言わないので、全身麻酔による手術の説明を聞いているとさらに不安になる。
・息子はICUに移され、私も中に入れてもらう。しばらく食べられてなかったから、真っ白な肌・ガリガリに痩せた身体が痛々しかった。ポロポロと涙が出てきた。
・ICUの中は空調のせいかひんやりして静かで医療機器の音が鳴っていて、なぜ息子がこんなところにいるのか、受け入れられなかった。
・院内にある病状説明をする個室のソファを貸してもらい、朝の手術まで待機した。
・亡くなった祖父やご先祖様、神様、とにかく祈れる全ての対象に祈りを力一杯捧げ、私の命と引き換えにしていいから、息子を
救ってほしいと願った。
すみません、思い出しながら書いているとまた涙が出て苦しくなってきたので、続きはまた今度書きます。
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