ならなければ何者かに
こんばんは。
春は自分が生まれた季節、桜・暖かい・誕生日と、好きだな〜と子供の時から思ってましたが大人になると、花粉・自律神経の不調・メンタルの不安定・桜すぐ散るなぁと、あんまりいい季節じゃないなと感じます
普段は息子と向き合う日々、夫は帰りが遅い日もあり、気づくと今日1日子供以外に会話してない、なんて日もあります
この前、夫が少し早めに帰り息子とお風呂入って寝かしつけて、夕飯食べていた時、
私「何かおもしろい話してや」
夫「え〜急には思いつかないよ」
私「私は今日大人誰とも会話してないんや。ちゃんと私と話してや」
夫「う〜ん。。」
(しばらく待つ)
私「ずずっ(花粉症に効くいうバラ甜茶飲む)」
夫「‥今さ、年度末だから職場のチームの子たちに1年の仕事の自己評価シートを書いて提出してもらってるんだけど」
私「ふむふむ」
夫「みんな、自分がどれだけの成果を挙げたかは書かないんだよね」
私「ん?それは、日本人的な、控えめで自分の成果をはっきり言いにくいからやないのか」
夫「まあ、それもあるかも。だけど、仕事の様子見てても、みんな目の前の仕事は一生懸命やるけど、自分の役割をいまいちよく把握せずに仕事してるんだよ」
私「自分が全体の中でどんな役割を果たしているのかわかってないてことか?」
夫「そうそうそう!視野が狭くなってて、自分の全体の中での役割をあまり認識してないから、自分の成果をはっきりと把握できてない。1つ企画書書きました、案件獲ってきましたで完結しないで、その仕事が全体の中でどんな意味を持ってるか、だからこそ自分が果たす役割は何なのか、自分は何者なのか、それを考えて仕事してほしいんだよね」
私「‥この話、どこがおもろいんや。。興味深いの方のおもろさか」
夫「そうそう〜」
私「真面目か」
夫の話は私が期待していたおもろさとは違いましたが、彼の話の「自分は何者か」という部分を聞いて、昔のことを思い出しました
大学卒業後、新卒でメガバンクに入り、大きな支店に配属され、意気揚々と仕事に取り組んでいた私ですが、職場の人間関係や仕事内容に挫折し、1年も経たずに辞めました
身体も心も壊していたので、しばらく実家に出戻りで帰ってました。挫折らしい挫折は初めてで、結構ショックで立ち直れず、将来が見えない日々を過ごしていました
そんな時母が、
「今のあんたに私が言いたいことはこれだよ」と、新聞の切り抜きをくれました
それは作家の井上荒野さんのエッセイで、その一節にこのようなことが書かれていました
『人は何者かにならなければならない、と父は何かにつけ言っていた。
お金を儲けたり、有名になったりする必要はなく、ただ自分の心のいちばん大切な部分を使う何かをして生きなければならない、と』
それ読んだ時は衝撃でした
あ、そっかー、そうか、そうなんだ。
誰かから見て期待される姿じゃなくて、自分の心がふるえるなにか、そういう者になりたくて自分はもがいてんのか。それが見つからなくてどうしていいのかわからなくて苦しいのか
なりたい何者かを考えることは、自分がどう生きていきたいかを考えること
その時は職業選択の場面でしたが、親元を離れ自立し、社会人として社会で生き抜いていくには、それを考えて目標を見据えることがとても大切なことだと思いました
その言葉に出会ってもう10年以上、
いまだに自分は何者かということに悩んでいます
夫のおもろい話と照らし合わせれば、何者かを考えるときは、マクロの視点で見ないとわからない
私は今は母で妻で主婦だ。これは狭義の役割なんだろう
広い視点で見たとき、私は何者なんだろう
社会とか世界とか、その中での私は何者なんだろう
わかりません、まだ
走りながら探しています
悩みながらもがきながら
探しています。必死に
今自分が経験している全てのことは、きっと何かに繋がっていくと信じていて、
その何かは、自分の行いが家族に加えてそれ以外のたくさんの第3者の誰かを幸せにしたり助けたりそういうことに繋がっていく
その時の私は何者なのか
まだ名前はつけられないけど、子供と向き合う日々の中で、探していこうと思っています
不思議なんですが、
息子の入院など一連の修羅場を経験した今では、その何者かに、以前より近づいている確信があります
何者かとは、もうだめかもしれない、という死線をくぐり抜けてこそ勝ち取れるものならば、絶対に掴み取りたい。そして、自分も周りも幸せにしたい。そういう力が欲しい
このテーマ、また自分が進めたら書きたいです
うちの子鉄は
りんごはいまだに言えませんが、りんごを見て「アッポゥ」と言った天才です
だから私は絶対にこの子の健康も未来も守ります。私はそれができます。そういう者になりたいのではなく、私は既に出来る者です
また書きます
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