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腎血管性高血圧症の経過③

こんばんは。4歳の息子が1歳9ヵ月のときに発覚した症状である、腎血管性高血圧症の経過について、これまで書いてきました。

今回は、急性期後から現在までを端的に振り返ります。

■思い返してみて、腎血管性高血圧症が発覚するまでの日常での気づき
・症状が出て入院するまでの日常で、母親のカン的におかしいなと思っていたことは、
 ①食べない ②寝ない(寝付きが悪い) ③歩くのが遅い 
・この食べないというところが1番つらく、どんなに工夫しても食べが悪くて、体重の増えも悪く、どこか問題があるのでは、と不安で仕方なかった。
・1歳半、3歳児検診と、問題を指摘されることは無かった。
・自分も夫も、家系的に身体は大きく、よく食べ寝る子だったと親に聞かされ、どうして食べないのか、寝ないのか、という理由を探してばかりいた。


■急性期(緊急入院・処置)の後
・緊急でカテーテル手術をし、狭窄している左腎動脈を広げる処置をした後は、劇的に回復していった。
・退院後、以下検査を行った。
 ①MRI検査→急性期、高血圧脳症の後が白く検査結果で出ており、その跡が消えているかの確認のため。
 検査結果:正常と確認
 ②眼底検査→高血圧脳症のため、眼底の血管が蛇行した跡があったとのことで、正常に戻っているか確認のため。
 検査結果:正常と確認
 ③脳波検査→高血圧脳症を起こした人は、その後てんかん発作を発症する可能性が少ないがあるとのことで、脳波は今年の秋まで数ヶ月おきに検査を行った。
 検査結果:いずれも正常と確認
 ⇒今年の秋から、てんかん予防として服薬していた薬を少しずつ減らし、最終的にはその薬の服薬を0にする予定
 ④カテーテル検査→急性期の処置で、左腎動脈を広げきれなかったため、わずかだが狭窄が残っている。その後、狭窄が進んでいないか、血管の太さを評価するため2度、全身麻酔をかけて検査を行った。
 検査結果:いずれも正常、狭窄の進行は見られず、広げる処置はしなかった。
 ⇒血管の評価はカテーテル検査以外には方法はないが、狭窄・高血圧の兆候や症状がなく、血管の狭窄も進んでいないため、こうした状況で全身麻酔をかけて調べるのは過度の検査になるとして、今年の6月でカテーテルの検査は終了。
 ⑤超音波検査→血管の評価はカテーテル検査でないと出来ないが、血流がきちんと流れているかの検査をするために、定期的に行ってきた。
 検査結果:正常と確認
 ⑥心電図・心臓超音波検査→左腎動脈狭窄により、心臓の血管と繋がっていたため、多くの血流が流れ心臓が通常より運動し、心筋が肥大。心臓に異常がないか、また、この肥大が時期と共に解消されているか確認するため定期的に検査。
 検査結果:いずれも正常と確認
 ⇒今年で検査終了


■日常の通院
 ・退院後は、1ヵ月に1回の通院があり、その際いつも検尿と血液検査を実施。
 ⇒いずれも正常と確認
 ・今年に入り、通院頻度が2ヵ月、3ヵ月に1回と減少。
 ・服薬は、狭窄が起きたときに腎臓から血圧を上げるホルモンが出るが、そのホルモンが出るのを抑える薬と、てんかん予防の薬の合計2種類を服用している。
 ⇒てんかん予防薬は量を減らし、やめる目処がたっているが、もう1種類の薬は、まだ目処がたっていない。その薬の服用が、現在の血圧安定と関連している可能性があるため、まだやめる決断はされていない。


■日常のケア
 ・服薬2種類(本件とは関係ないが、アレルギー薬も加えて服用している)
 ・毎日の血圧測定

今息子は、4歳2ヵ月。バイリンガル幼稚園に通って、英語と日本語が混じったおしゃべりを家出繰り広げています。夜寝る前に本を大量に抱えて持って行くときは、「heavy! It's heavy!」、ご飯を食べる前には、「Thank you for your staff! Let's eat!」。幼稚園で習った好き嫌いの歌「Do you like ○○? Yes,I do!  Do you like ○○?  No I don't! Yucky!」をよく歌います。日本語はまだむにゃむにゃ喋ってて、大丈夫か心配になるけど、ケラケラわらったり、熱心にブロックやプラレールを組み立てたり、どこに行きたい、どの電車に乗りたいとしっかり主張したり。そうした姿を、私は、あの入院の時とても想像出来ませんでした。

経験しなくていいことを経験したんじゃないか、味合わなくていい苦しみを味わったんじゃないか、どうして自分の子どもだったのか。今でもそう思うときがあります。どうして、私はこんな苦しみを背負うのか、考えても答えは出ないし、その現実、全然納得してない。世の中、助けられる側にいる人はとことん楽して、その影で犠牲になっている人は、とことん苦しんでいる。そうした不条理を少しでも解消したい、そう心から思っています。

宿命的に助ける側にいる人たち、そういう立場になるであろう子ども達に、たくましく生きる力をつけてあげたい。助けられる側に生まれ落ちても、少しでも助ける側にいる人たちの気持ちに共感出来る力をつけてほしい。

私だから出来る伴走があるのではないか、そんな思いから、来年起業をすることを目指しています。

集中治療室に運ばれて、緊急手術して、症状のケアをするために別の病院へ運ばれ、入院生活が始まりました。それから時間が経って、息子がつきものが取れたように、にこっと笑うようになり、その笑顔を見て、「ああ、もう大丈夫だな」と根拠はないけど、思いました。それがこの写真です。

入院の様子

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