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腎血管性高血圧症の経過②

こんばんは。昨日に引き続き、息子が1歳9ヵ月の時診断された、腎血管性高血圧症のこれまでの経過をここに記録として書きます。

入院から退院までの日々

・大学病院分院でのカテーテル手術後、全身麻酔のため人工呼吸にしている管を抜いたところで、教授がいた元の大学病院へまた移送。
・その大学病院は、小児の腎臓と神経の専門科があり、第三次救急まである病院だった。
・主治医は私と年の変わらなそうな30代の女性と、その上にベテラン医師がついた。
・大学病院に戻ってきたとき気づいたが、原因が分かり、分院に移送される際、ここの小児科病棟の先生達がすべて救急車まで見送ってくれた。
・当直だった先生もいただろうし、そうでない先生もいただろうし。あの時間、全ての医者がメンバーとして残っていることも考えにくい。
・息子の症状の原因を突き止めるため、皆で対応に当たってくれたんだなと感じた。
・それからしばらくして知ったが、主治医の女医は妊娠中だった。あの日、必死に息子のためにかけずり回ってくれたんだなと後に知った。
・入院先の大学病院は当時住んでいた地域から電車で1時間ほど。
・着替え、オムツ、絵本、おもちゃなどをカバンに詰めて、毎日通った。
・息子は、だんだんと食欲もわいてきて、病院食を間食する日々、おやつも楽しみに。
・面会時間までは病院内にいる保育士さんが、他の入院している子どもたちと一緒に、院内保育をしていて、そこに息子も混じっていた。
・面会時間になって、病棟のプレイルームを覗き、私の姿を見つけると、息子は目を真っ赤にして声を出さずにしくしく泣き始める。
・何が1番辛かったって、息子を1人病院へ残して息子のいない自宅へ帰ること、自宅に息子がいないこと。面会時間終了時、寝ていてくれたらいいけれど、
感のするどい子だから、私が帰る気配を察知するとずっと離れずべそをかき始める。泣いている息子を残して後ろ髪引かれる思いで帰るのがとにかく辛かった。
・そんな日の病院の帰り道は、夜道でいつも泣きながら帰っていた。どうして、私、こんな辛い思いを息子にさせてるのか、と。
・息子は、入院中、異常値があった腎臓の数値は回復。
・左腎動脈が狭窄していたため、左に血流がいかず、右の腎臓が左の腎臓の機能を代替していたため、
レントゲンで撮ると、左右の腎臓の大きさはかなり違っていた。その左右差もだんだん解消され、血流も左右差がなくなり正常になった。
・入院時180-200とあった異常な高血圧も正常値に戻った。
・高血圧脳症を発症し、痙攣発作を起こしたので、MRIを撮影すると、脳に脳症の跡が確認された。今後、もう一度時間をおいてMRIを行い、この跡が消えているか確認すると言われた。
・高血圧か脳症の際に、眼底の血管が蛇行してしまっているとのことで、そちらについても血管の異常が解消されているか、時間をあけて検査すると言われた。
・心臓の超音波を行うと、心筋が厚くなり(腎動脈は心臓へいく血管のため、カテーテル手術をした医師も小児心臓の専門医だった)、こちらも経過観察と言われた。
・結局1ヵ月半入院し、退院。
・息子の病状の原因を突き止めた教授は、日本を代表する小児腎臓の専門医だった。
・原因がわかっても、あと一歩遅かったら、腎臓を摘出し、入院期間も長期になり、回復するまで時間がかかり、元の生活には戻れなかったかもしれない。
・何より、息子にこれからの人生で大きな枷を与えてしまうことになっていた。
・入院中、検査の度、結果を祈るような気持ちで待ち、息子を病院に残して病院を出たとき、同世代の元気そうな子どもを見ると胸が張り裂けそうだった。
・私の心と身体は悲鳴を上げていた。それでも、息子が完治するまで、絶対に寄り添い、諦めず、信じ抜くと、それだけはずっと強く思っていた。


消灯した病棟に息子を残して帰らなければいけなかった日々を思い出したら、また泣いてしまいました。面会時間終了後、いつもエレベーターで小児科病棟から一緒に出てくるママたちと一緒になったけど、誰1人しゃべらず、悲痛な表情をしていました。そうしたママ達を見ていると、子どもを守れない自分を責めて、苦しんでいる気持ちが痛いほど伝わってきました。

今日はここまでにします。また書きます。





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