あなたと、一番深いところで。

私が今年参戦したライブ、NO MAGIC TOURが円盤化の前に一足先にWOWOWで放送される運びとなり、加入している友人にダビングしてもらってさっそく見させてもらった。映像化されたのは八月二十四日の大阪城ホールでのもので、私が行った公演ではなかったけれど、それを見てあまりにも鮮明にライブが蘇ってきてしまったので備忘録がてらここに記しておきたいと思う。

その武道館公演の日、七月二十五日はとても暑い日だった。七月下旬とはいえまだそこまで厳しい暑さではないだろう、そう高を括っていたがその思いは武道館の最寄り、九段下駅の改札を出て階段を上り地上に出た途端にいとも容易く打ち砕かれた。とにかく暑い。むっとした熱気が身を包んだ。
そんなうだるような暑さの中連番する友人と合流し、武道館へと続いているやや急勾配な坂道を上る。その先には歴史を感じさせる、古めかしい大きな木の門がそびえ立っていた。
ここが武道館か。一人胸が熱くなった。バンドマンの聖地とも呼ばれるこの場所で、大好きなバンドのライブを見届けることができる喜びを噛みしめながら門をくぐる。すると真っ先に目に飛び込んできたのはツアータイトルの印刷されたトラック。そしてグッズの物販列。あと数時間後にはライブが始まることを実感して胸が躍った。もちろん私たちもその列に並び、無事お目当てのグッズを手に入れた。そうこうしているうちにあっという間に開場時間になり、武道館の中に入る入り口が混雑し始めた。人の流れに身を任せていると、ひときわ目に着くものがあった。back numberへの祝花だった。

アーティストがライブを行う際、各方面の関係者から祝花が届き、一般客でもそれを目にできることがあるのは知っていたが、実際に見るのは初めてだった。どこから届いているんだろう、と目を凝らす。すると某音楽番組からのものや彼らと仲のいいバンドマンからのものまで沢山あった。中には小島和也がベースに目覚めるきっかけとなったバンド、LUNA SEAからのものもあり、これを彼が見たとき嬉しかっただろうなあなんて想像に耽りもした。またそこには彼らが数年前までパーソナリティーを務めていたラジオ、オールナイトニッポンからも。残念ながら私はそれをリアルタイムで聴くことは一度も叶わなかったが、いつか復活してくれることはあるのだろうか、そんなことも考えて胸が躍った。
そしてツアー名の刻まれた看板の下をくぐり抜け、階段を上る。上りきった先でスタッフさんにチケットを渡して半券をもらい、とうとう武道館の館内へと足を踏み入れた。

この日は友人名義のチケットでのライブだったのだが、なんと彼女が当ててくれたのはアリーナ八列目、和也さん側。私にとって人生初のアリーナ席だった。初めてアリーナの入口に足を踏み入れて愕然とした。とにかく、近い。場内に入っただけでもうそのように感じたのに、さらに近くに行けるなんて夢のようだった。席に近づくと同時にステージとの距離がどんどん詰まっていって、思わず興奮で軽く小躍りしながら席に向かった。やっと席に座って顔を少し上げると、さすがは日本武道館と言うだけあって、高々と日の丸が掲げられていいた。ぼんやりとスモークで満たされた空間の先にはステージが。ドラムセット、ギター、ベースやその他機材が設置され、マイクが立っているのがしっかりと見えた。微調整のためにステージ上を行き来しているスタッフさんの顔まではっきり見え、この距離でメンバーを見ることができると思うと居てもたってもいられなかった。

席についてからライブが始まるまでの間のことは高揚しすぎてあまり良く覚えていない。だがそれが始まる瞬間だけは鮮明に覚えている。その瞬間は、唐突に訪れた。

今までかかっていたBGMの音が突如大きくなり、それと同時に会場の照明が落とされ、辺りは真っ暗になった。観客は皆立ち上がり、一帯が興奮に包まれた。もちろん私もそのうちの一人だ。肩に掛けたタオルをしかと握りしめ、ライブが始まろうとするその瞬間を固唾をのんで見守っていると――ピアノの流麗な音楽と共に映像が流れ始めた。重厚感のある音に沿って美しい紫色の帯が映し出され、スクリーンの中を泳ぐ。暫しそれに見惚れていると、それはオレンジ色の光へと姿を転じ、そしてさらに線香花火がパチパチとはぜる映像へと移り変わった。その線香花火は「NO MAGIC」と一文字ずつ刻んでいき、最後にはツアー名が大きくスクリーンに映し出された。観客から拍手が沸き上がった。ふと天井を見上げるとスクリーンだけでなく天井にも優しい、綺麗な色をした光の帯がいたるところに張り巡らされているのがわかった。とても幻想的な風景で、ツアー名の「NO MAGIC」とは裏腹に魔法をかけられているよう、そんな夢見心地な気分でいるとその思いは次の瞬間、いい意味で打ち砕かれた。

映像と音楽が余韻を残して止まった途端、地を裂く雷のようにアグレッシブで激しいギター、ベース、ドラムの音が一気に耳に飛び込んできた。それと同時にステージの周りをぐるりと覆っていた薄いヴェールが天井から一気に剥がれ落ち、メンバーの姿が露わになる。客席は一瞬のうちに興奮と熱狂に包まれた。

待ちに待ったライブの幕開けだ。

一曲目を飾ったのは、「大不正解」。これほど最初にふさわしい曲はないと思う。私はこの公演に行く前に既に6月2日のさいたまスーパーアリーナでのライブに参加していたので一曲目に何が来るのかは勿論知っていたが、それでも思わず飛び跳ねてしまった。1か月と二十数日ぶりのback numberのかっこ良さに痺れて鳥肌が止まらずにいた。依与吏さんと和也さんが体を左右にくねらせ激しくギター、ベースを弾いているのも、寿さんがしっかりとドラムを打ち込むたくましい腕も、全て見えた。あまりにも近くて、メンバーの表情まで克明に見えて、嬉しすぎて危うく涙が滲みそうになった。そうしてとうとう歌詞に入る。

「僕等は完全無欠じゃ無い」

そう力強く謳いあげる清水依与吏の声。やっぱり好きだなあ、としみじみと感じた。同時に初めてこの曲がラジオで解禁されたときのことを思い出した。去年の夏、映画「銀魂2 掟は破るためにこそある」の主題歌として書き下ろされたこの曲は、その映画に出演する菅田将暉がパーソナリティーを務める「菅田将暉のオールナイトニッポン」で音源が初解禁された。先ほども述べた通り、彼らが以前受け持っていた番組だ。夏休みの深夜一時、ゲストに主演の小栗旬を迎えて、それは始まった。二人が繰り広げる軽快なトークに何度も笑っていると、あっという間に時計の針が一周を回り、待ちに待った解禁時間になった。――雷に打たれたよう、とはまさにこのことを言うのかと思った。何度も聞き返した。新曲を解禁と同時に聞く、という経験が初めてだった私にはそれはとてつもなく大きな衝撃で、息をすることすら躊躇うほどだった。興奮でその日は中々寝付けなかったことをよく覚えている。頭の片隅でそんなことを回想しながら無我夢中で手拍子をし、飛び跳ね、手を振り続けた。

なんといっても印象的だったのは、清水依与吏のシャウトである。CD音源ももちろん大好きなのだが、ライブで臨場感溢れる生の声を聞くとさらに曲への愛が増す。色気、力強さ、そして獰猛さを孕んだ彼の叫びは眩暈がするほどかっこよくて、思わず頬が緩んだ。「暑苦しいのなんざご免なんだ まぁ好きに呼べばいい」そう最後に謳いあげる時、赤いライトが彼に一点集中してシルエットが浮かび上がるのも(こんな月並みな言葉でしか表現できないのが悔しいが)とにかく最高だった。

そうして大不正解が終わり、一瞬の暗転と共に始まったのは「ARTIST」だった。聞きなじみのあるギターイントロの後、清水依与吏が「huuu!」と短く声を上げた。赤、紫、緑の鋭い光線がステージ上を妖しく刺して踊る。そうして中盤に差し掛かったころ、

「STOP」

その彼の一言で縦横無尽に辺りを交錯していたライトが一列に整列し、停止した。スパイ映画の世界に迷い込んだようで、ぞくりとした。瞬間的に去年のドームツアーを思い出した。あの時も同じ曲、同じタイミングでライトが停止して鳥肌が立ったのだった。懐かしさを覚えるとともにまたこれを見ることができたのが堪らなく嬉しかった。

この後さらに「MOTTO」で会場を沸かせると、本日初のMCに入った。初っ端の三曲で彼らは体力を相当消費したらしく、息を弾ませながらback numberですよろしくお願いします、と言ったあと(冒頭のシャウトで)エネルギーの八割を使ったのでここからは残りの二割でお送りします、なんて冗談を言って場を和ませていた。飾らない自然体なトークを暫し繰り広げた後、依与吏さんが少し真剣なトーンで、一生懸命作った曲を精一杯演奏することがおもてなし、そういった意味のことを言っていたのが強く印象に残った。

この後「泡と羊」「サマーワンダーランド」「オールドファッション」を演奏し、ステージが暗転した。すると微かに水の流れる音がどこからともなく聞こえてきた。神経を最大限に研ぎ澄ませてこれに耳を傾けていると、その音は次第に大きさを増し、川のせせらぎのようになってゆく。その音と緊張感が最大限に高まった瞬間、依与吏さんがそっとギターを鳴らしながら即興曲を奏で始めた。

今ではもう細かい歌詞は思い出せないけれど、ただ間違いなく言えるのは、一人ライトに照らされながらそっと歌を紡ぎだす彼の姿がとても綺麗で、かっこよかったということだ。私を含めた観客全員は、間違いなくそれに聞き惚れていた。そして即興が一区切りついて、聞き覚えのあるイントロが奏でられ始めた。「雨と僕の話」だ。

「雨の交差点の奥に もうすぐ君が見えなくなる」

この歌はこのフレーズから始まる。そしてそれを表すかの如くモニターには静かに雨の降りしきる、色のない、モノクロの交差点が映し出されていた。「もうすぐ君が見えなくなる」、「雨の交差点」が確かにその場所に存在していた。知らず知らずのうちに深い溜息が口から漏れ出していた。すごい、以外の言葉が見当たらない。この瞬間、間違いなく日本武道館には雨が降っていた。この曲で、主人公と彼女の関係が終わりを迎えた時に降っていた雨が。この演出を見るのは二回目だったはずなのに感動で鳥肌が止まらなかった。即興もこの曲自体も、聞いているだけであたかも自分が失恋したかのような、心にぽっかりと穴が開いたような、そんな喪失感を覚えた。

曲中のメンバーの様子も物凄く記憶に残っている。スクリーンに映される彼らの姿は他の曲とは打って変わったように色が一切無くて、尚更虚無感を如実に映しだしている気がした。その上前の曲まで彼らは心から楽しそうに演奏していたのに、この曲になった途端一気に苦しそうな、切ない表情を皆一様に浮かべていて。見ているこちらまで胸が苦しくなった。

「終わったのさ ああ あるのは痛みだけ」

そう言ってこの曲が締めくくられた。
何とも言えない、少し苦くて切ない気持ちになっていると間もなく次の曲が始まった。
「思い出せなくなるその日まで」。モノクロの世界が、一気に青いライトで彩られた。だが曲の纏う切なさは消えることはなかった、むしろ増していくようだった。

個人的にback numberが失恋を歌った曲には、「青」のイメージが色濃く存在している気がする。fishの「私のスカートが青く揺れている」然り、ハッピーエンドの「青いまま枯れてゆく あなたを好きなままで消えてゆく」然り。そのイメージが私の中で強いせいだろうか、青い光で満たされるとむしろ切なさがより一層際立っていた気がした。

この曲に「もう何も 何も出来ないままで 誰も誰も 悲しいままで」という一節がある。それを歌う依与吏さんに言い表しようもないほど惹きつけられた。真っ赤なライトに照らされ、徐々に彼の目がモニターにズームアップされていったのだが、その目は底なし沼のように光がなくて、真っ暗で。人をどこまでも引き摺り込むような眼をしていて、見ていてぞくりとした。
その直後の間奏での依与吏さんが発するエネルギーも強烈で。体をくの字に曲げて、揺れて、屈んで、ステージを足で蹴りつけて、とにかく力強く、激しくギターを弾いていた。曲自体は悲しい歌のはずなのに、それを演奏する演者は全身全霊で音を鳴らしているそのギャップ。気づけば魂を吸い取られそうなほど引き込まれていた。そして間奏が終わり、あたりは静寂に包まれた。客席全員が依与吏さんを見つめていた。彼が大きく息を吸いこみ、それを吐き出すと同時に言葉が紡がれ始めた。

「たとえばあなたといた日々を 記憶のすべてを消し去る事ができたとして
もうそれは私ではないと思う 悲しみひとつも 分け合っていたのだから」

その声があまりにも力強くて、上手く呼吸ができなくなりそうだった。それほどの迫力を伴っていた。体の芯が震えるような、凄まじいものだった。ただ立ち尽くして聞き惚れることしかできなかった。記憶に深く刻み込まれた一瞬だった。

そこから数曲挟み、「SISTER」が始まった。私の大好きな曲だ。

「負けないで 君が瞬きで隠した痛みをその想いを ああ 僕は知っているから」
「泣かないで 君が費やしたすべてが意味を持つその時まで あの雲の先できっと きっと」

この歌詞を聞くと、どれだけ自分が迷っていたとしても、その行程全部ひっくるめて肯定してくれているような、肩をそっと押してもらっているような気分になる。「泣かないで」と言いつつも何度私はこの曲に泣かされたことだろうか。そんなことを回想しながらこの曲を聞いた。自分のメンタルがずたぼろの時に聞くと、自分が積み重ねてきたこと全てが無駄じゃなかったように思えて、堪えようもないほど泣きたくなるのに、ライブで聴くと何て幸せで、何て楽しいんだろう。それに少し可笑しみを感じながら、心の赴くままに飛び跳ね続けた。

その後「monaural fantasy」が続き、さらに始まったのが「あかるいよるに」。
アルバム名「MAGIC」すなわち「魔法」は、この曲の「かかった人にだけ価値が生まれる魔法の話」という一節からきたといっても過言ではないだろう。

「アブラカタブラ テクマクマヤ リンリロン スリートゥーワン ララララ」

まるで魔法の呪文かのような歌詞と共にカウントがなされたかと思うと、ステージ上空からひらりひらりと短い金のテープが舞い落ちてきた。夢の世界、というほかないような空間で、みんな笑顔を浮かべていた。多幸感に包まれながら曲を噛みしめた。

この後のМCで依与吏さんが言った言葉が忘れられない。
「曲が泣いてるって感じる時がある」彼はそう言った。
そして、「一番大切なのは曲に恥じない人間になること」だと。
この言葉から清水依与吏のひとつひとつの楽曲にかける並々ならぬ強い思いが感じられた。本当にこの人は自分たちの持った曲に誇りと愛情を持っているんだな、と。そうして彼はぽつりぽつりと、葛藤を語り始めた。がむしゃらにバンドをやってきたこと。もしかしたらその途中で人にぶつかったかもしれない、顔を踏んづけたかもしれないと。正直逃げ出したくなるようなときもある、誰かが代わりにライブをやってくれないかと思うときもある、と。でも自分たちが作ってきた曲に責任を持ちたい、背を向けたくない。記憶は少し曖昧だけれどそのような意味のことを言っていて強く胸に刺さったことは鮮明に思い出せる。そして始まったのは「電車の窓から」だった。

この曲は上京する若者の葛藤を歌った曲だと、私は解釈している。この歌と彼らの過去の思いが今、交錯している気がして鳥肌が立った。

「生まれて育った街の景色を 窓の外に映しながら」

その歌詞と共にスクリーンには電車の車窓越しに田舎の街並みが流れる映像が映し出された。直感的に彼らの生まれ故郷、群馬なのであろうと思った。――彼の言う通り「曲が泣いている」時があるとすれば、今この瞬間、この曲は「喜んで」いるのだろう、そんなことを思わせるくらい彼らの迫力が凄まじくて呆然と立ち尽くすほかなかった。ただただ聞き惚れるばかりだった。

そうして観客を圧倒しながら「HAPPY BIRTHDAY」も謳いあげ、次に始まったのは「瞬き」だった。何度聞いても「幸せとは――」という強いブレスから始まるのには鳥肌が立つ。この曲は去年私が東京ドームで人生初のライブに行って、初めて生で聴いた曲だった。その時の「ああ、本当にback numberは実在しているんだ」という感動を思い出して心の奥がじんとした。

「星が降る夜」この歌にはそんな表現が用いられている。それを体現するかの如く、ステージの周りには光が散りばめられていて、夜空の星を映したかのような光景に思わず溜息が出た。

「瞬き」が終わってステージが暗転し、一瞬の暗闇の後に再び明かりがついた。するとそこには、お辞儀をするメンバーがいた。全員、これ以上ないくらい深々と頭を下げていた。その姿から、ありがとう、そんな言葉が聞こえてくる気がした。それを見ただけで私はなんだか胸がいっぱいになってしまって涙が出そうになった。けれど何とかそれを堪え、そのお辞儀に負けないくらいの大きな拍手を送った。そして依与吏さんが静かにこちらに語りかけ始めた。

「――楽しい時はいいよ、美味い酒と、肴があれば何でも。でも人生でもう忘れ去りたい、必要ない、そんな日ってあるじゃん。そういう時に曲を聴いて、『頑張れ』とか、『応援してるよ』とか、そんなこと言われても、俺の辛さがお前なんかにわかるもんか、俺の苦しみを舐めるな、お前なんか俺の何倍も恵まれてるじゃないか、そう思っちゃったんだよね。そういう思いを俺がしたから、そう思った俺たちが作った歌だからこそ、人生で一番最悪な日に聞いたときに、『あ、なんかこの人たちの曲はわかんないけど励ましてくれてる気がするな、ちょっと頑張ってみようかな』そんな風に思えるような、日本一深いところであなたと寄り添えるバンドでありたい。だからこれからもback numberを聴き続けてください。」

この言葉を聞いて、ふと気づいた時にはもう涙が頬を伝っていた。いつも私が日常で辛い、しんどい、そういう負の感情を抱いて、嫌な気持ちになっているときに聞くのは決まってback numberで、そしてその度に救われてきて。彼らの曲を聴くたびにそのままでいいんだよ、そう言われている気がして涙が止まらなくなった日もあって。いつも彼らの楽曲は私に寄り添ってくれていて。大袈裟な言い方にはなるけれど、とにかく私はこの人たちに人生を救ってきてもらった、支えてきてもらった。それを思い出しながらこの言葉をひとつひとつ噛みしめた。もうとっくに寄り添ってくれてるよ、私にとって唯一無二の、日本一のバンドだよ、そんなことを思って流れる涙に身を任せた。この時依与吏さんは唇を噛みしめ、時折顔をくしゃりと歪めながら言葉を絞り出していた。全身全霊で私たちに思いを伝えようとしてくれていることがひしひしと感じ取れて、それに負けじと私も言葉に耳を傾けた。一言も聞き漏らすまい、そう思いながら聞いていた。

そうして始まった曲は、「最深部」。曲とMCでの言葉が、ぴたりと重なった瞬間だった。激しい曲調に合わせて周囲は皆手を振っていたけれど、私は曲半ばくらいまでまったくそんな余裕はなかった、ただただ嗚咽を堪えながら聞き入ることしかできなかった。

「最深部で悲鳴とSOSが」

これから先、体の奥から悲鳴が上がるような、どんなに辛いことがあってもその時は絶対またback numberが寄り添ってくれるんだろう、そんな漠然とした、しかし確信めいた思いを抱きながら聞いていた。このバンドに出会えてよかった。そう心から思った瞬間だった。

そして次の曲。「高嶺の花子さん」。アップテンポなライブ定番曲だ。イントロがゆっくりと始まると共にさっきまでの涙が嘘のように消え、ただただ多幸感に包まれた。リズムに合わせて手を叩き、飛び跳ね、そしてまた手を叩く。にこやかな笑みを浮かべ楽しそうに演奏する彼らを見ながらこの曲を聴くのは幸せ以外の何物でもなかった。この曲は私がback numberを深く知るようになるきっかけとなった曲だ。それまでにも数曲、有名なものは知っていたが、とりわけ好きだというわけではなかった。でもある時友人からこの曲いいよ、と「高嶺の花子さん」を勧められ、そこから徐々に興味を持つようになっていった。この曲とその友人なしにはここまで深く一つのものにのめりこむことはなかっただろう。そのきっかけを作ってくれた友人と、この曲を今隣で聴けていることに感慨深さを覚えながら楽しさに身を委ねていた。

そしてとうとう、本編最後の曲、「スーパースターになったら」。この曲を歌う前に、清水依与吏はこう宣言した。「絶対にまた迎えに来るからな」と。そして高らかに叫んだ。「スーパースターになったら!」そして「1,2,1,2,3,4」のカウントと共に銀テープが会場の四方八方から発射され、客席の興奮は最高潮に達した。時の流れが遅くなったかのようにゆっくりとテープが舞い降りてきた。そして全力でジャンプして手を伸ばすと――自分の手がしっかりとテープを掴む感触がした。ライブでこれを掴み取れたのは人生で初めてだった。いつも二階席から飛ぶのを眺めていたものが今、自分の手の中にあることが信じられなかった。それを掴んだまま狂うほど手を振り、ジャンプした。その時の私は他の人より頭一つ分くらい高く飛んでいたに違いない。本編最後を飾るにふさわしい、最高のひとときだった。

アンコールで「ハッピーエンド」、「手紙」を演奏した後サポートメンバーを含めた六人がステージ中央に集まって並び、しっかりと手を繋いだ。そして依与吏さんがマイクを通さず、「ありがとうございました!」と武道館中に響き渡る大声で叫んだ。それを合図に全員が深々とお辞儀をした。本当に長いお辞儀だった。最高の演奏を届けてくれてありがとう、そんな思いを込めながら手がちぎれるほど強く拍手した。

そうしてNO MAGIC TOUR 2019、七月二十五日の武道館公演は終わりを告げた。

NO MAGIC TOURが始まる前、彼らはインタビューでこう問われていた。なぜアルバム名は「MAGIC」で、ツアータイトルを「NO MAGIC TOUR」にしたのか、と。それに対して清水依与吏はこう答えていた。

「僕たちは魔法なんてかけられませんから。」

とは言うけれど、私にとってこのライブは間違いなく「MAGIC」だった。魔法に掛けられていた。あっという間に過ぎ去った、この濃密な三時間は現実から遠く離れた場所にいる気がした。ただただ、幸せだった。この公演からだいぶ時間が経ち、これを書いている今も、あの時間が幸せすぎて夢だったんじゃないだろうかとさえ思えてくる。
私にとってback numberは、ありふれた日常に彩りを与えてくれる永遠の魔法使い、かつ、唯一無二のスーパースターに他ならない。「もっといいバンドになって帰ってくるから。」そう清水依与吏は言っていた。彼らが再びスーパースターとして迎えに来てくれる日が、待ち遠しくて堪らない。



_________________________________2019年12月18日にサイト「音楽文」に掲載していただいた文章。高校生の時、夏休みの自由作文としてこの文章の原型となるものを書き始め、規定枚数をゆうに超えた作文を周囲にドン引きされながら提出し、もう少しうまくまとめたいと試行錯誤しながらこの文章を書きあげたこと、武道館で感じたあの日の熱量を思い出して懐かしくなりました。

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