【感想】N/A 年森瑛
芥川の候補作を眺めていたらテーマとしてLGBTQ、摂食障害をテーマにした作品というところに興味を惹かれてN/Aを読んだ。おおまかな内容は社会で言われている普遍的な女性から外れてしまった現代のJKの小説といったものである。
この本において常に主人公はマイノリティであり、マイノリティであることに強い劣等感を感じるわけでもない一方で自分をマイノリティとして定義すること、さらに誰かに定義されることを激しく拒む。これは現代をマイノリティであることを盾にして、あるいは武器のように振りかざして練り歩く人々の影に隠れたほんとうの日常に隠れたマイノリティの人間の姿を正しく、痛烈に書きだしたといってよいだろう。マジョリティのなかにあるマイノリティへの感情というのは大概的外れであるのではないかということを考えさせられるような作品であったのではないかと思う。
この作品では主人公とうみちゃん、そして主人公と同級生という二つのまったく別の対比を軸にして物語が展開されていく。
まずは主人公と同級生という対比に目を向けてみると、ナンセンスなのはわかっていながらも一般化するならば女性としての外れ値と平均的な女性、さらに言えばマイノリティとマジョリティという関係に帰着するだろう。この二つの間には断裂も、対立も存在しないのだがマイノリティの人間にとってだけこの間に深い溝があるのだ。最近はやりのマイノリティ、マジョリティという対立的な概念によって語られる問題は単に少数派、多数派のどちらに属しているかどうかの話ではなくこの社会はマジョリティであることが当然でありそしてマイノリティが声を上げればそこまでの関係がどんなものであろうと他人から簡単に”マイノリティの、配慮しなければならない、自分とは根本的に違う人間”と定義されてしまうことであろう。そしてマイノリティの人間にとって自分をみられるときに”その人はマイノリティである”というフィルターを通してみられることになるということどれほど大きいかを大多数の人間は理解できていない、理解できない。その問題をこの本は完璧に書きだしている。コメダ珈琲のシーンにおいて主人公は何ひとつ変わってないのにつばさにとっての主人公が"LGBTの配慮しなければならない人"に変容してしまったこと、そして主人公にとってその事実が占めるウエイトの重さはどんなに鈍感な人であったとしても感じることができたであろう。
次に主人公とうみちゃんという対比に焦点をあてると、こちらは静かなマイノリティと声の大きいマイノリティと考えて差し支えないと思う。悪いが私はうみちゃんについて最後まで理解できなかった。というよりも自分がマイノリティであることを声高々に宣言し社会に変化と受容を促す活動家についていまだに理解できない。かれら活動家に言わせればこの主人公はアセクシュアルというジェンダーであるということなのかもしれないがそういう姿勢こそが主人公が嫌うものではないのだろうか。そしてうみちゃんと主人公の間にはそういう溝、決定的な違いがあり、その違いというのはマジョリティとマイノリティとの間のものとは別種の、一種の宗教的な拒絶に近いものなのではないかと思う。この二つのまったく別の対立をこの小説は内包しているのである。
そしてこの本では生理、というものが随所で語られる。主人公にとって生理とは自分が女性であることの裏付けであり、逆に無月経を保つことが自分の中で自分を女性と定義しない方法であるのだろう。生理がある自分のことを一番自分が拒絶してしまうのだと思う。
最後にこの本に対して少し批判的な意見を挙げるが、はっきり言って上述した二つの対比が独立しすぎている。もちろん二つのテーマとしては内容は細部まで絡み合っているが、この二つのテーマをお互いに物語として絡ませてこそ小説なのではないか。あの同じ電車に乗り合わせた場面でうみちゃんが話しかけて3人でお茶をしに行きそこでうみちゃんが正式につばさに関係を語り始め、社会構造のおかしさを熱弁するみたいな主人公にとって一番最悪な展開へと移行するぐらいの重さをLGBT,摂食障害というようなテーマは十分に耐えうるという素質があると思う。社会問題を題材にするということはいってみればハードルを設定するようなものであり、この作品はハードルこそ高いものの、それを華麗に飛び越えることはできなかったのではないか、と思う。オチも個人的には弱いと思うしなにより主人公が生理が訪れたことをしょうがないものとして受け止めて次の行動に移す様子は過度な体重管理の描写と不釣り合いのようにも思えた。このテーマをどう小説に落とし込むか、の部分はかなりうまくいっているように感じたがそれをどう表現するか、の部分にあと一歩足りないと思ってしまった。一言でいえば読み応えが薄いと感じたのだ。ただし、とても面白い本であったことは確かであるのでぜひ次回作も手に取りたい。