偏愛を語る vol.10 〜京都〜
人生1度しかない大学時代は、京都で過ごした。
元々は、縁もゆかりもない土地。
11年前、知り合いが一人も居ない中で、一人で飛び込んだ世界。
「どうして京都を選んだの?」
と、よく聞かれる。
18年北海道を出たことが無かった人間が、京都に出る。
知り合いでも、なかなか居ないパターン。
もし進学が目的なら、大学も多くまだ近い東京で良いだろう。
京都に出たのは、何か目的があったに違いない。
そう思うのは、まぁ当然だよな。
正直、京都でなければならなかった理由は、ない。
全く想像がつかない環境で生き抜くことで、"何か"を得たかった。
だから、「北海道に残る」という選択肢は最初から無かった。
北海道は今でも大好きだが、北海道の人の保守的な部分は嫌い。
高校卒業後の進路を考え始めた高校3年生の時、自分の周囲に対して特に強くそう感じていた。
当時、周囲には、かなりレベルを落として地元の大学を選ぶ「楽な進学」を望んでいるように感じる人が多かった。
高校卒業後の進路なんて、ぶっちゃけ"なんとなく"で選ぶしかない。
そのことは否定しない。
自分もそうだし、今も大学進学を選択する大半の人がそうだろう。
そりゃそうだ。高校生のうちから将来具体的にどうなりたいかなんて、決めらんない。
じゃあどうするか。
今叶えたいことがないのであれば、叶えたいことが出来たときにちゃんと叶えられるよう、自分の可能性を広げられる選択をすべきだと思う。
もちろん、それぞれの家庭に経済的な理由はあることはわかる。
でも、自分の可能性を拓こうとせず、妥協して進路を決める選択を取る友人達の保守的なところが見えると、とても嫌な気分になった。
そんな環境の中で自分は、大きく環境が変わる事より、将来自分が歩む道を選ぶことが出来ない人間になる方が怖かった。
だから、京都を選んだ。
結果として、正直「○○のスキル」だったり「▲▲な成長」のような具体的な"何か"を得られた訳では無い。
ただ、未知の環境で生き抜く中で、間違いなく膨大な経験を積むことができた。
経験の質と量は、自分の大きな糧になり、財産になる。
だから、この選択に後悔はないし、これからも守りたいものをちゃんと守れるようになるための選択を取っていこうかね。