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第一回「去りゆく季節の名残を追って」その2

前回のあらすじ

父を探す旅に出ることになった見習い占術師、ミルッカ・サルナトゥは、占いの忠告に従い、まずは地元の村で旅の仲間を探すことにした。

ところが、立ち寄った酒場「錆びついた斧」亭で賭博師のイカサマを目撃。黙っていられない性質が災いし、思わず告発してしまった。
煙幕を張り逃走する賭博師、怒り狂うドワーフ、なぜか楽しげな吟遊詩人……。
厄介事の匂いがする。



ミルッカの手記 その2

 朦々と立ち込めた煙が晴れると、案の定ペテン師の姿が消えていて、あとには古びた小瓶が一つ転がっているだけだった。古典的な手だが、古典になる程度には有効な手でもある。

「おいおい、こりゃどういうことだ!?」
 人々の咳き込む声が一段落したタイミングでドワーフが声を張り上げた。そちらを見ると、先程まで机の上で小山を成していた金貨が、そっくりなくなっている。

 へぇ、土壇場でそこまでやるとは。あのペテン師もなかなか侮れない。ちょっと見くびっていたかしら、感心感心。
 なんて呑気なことを考えながら、これ以上面倒に巻き込まれないようにいそいそと帰り支度をしていると、突然背後から肩を組んでくる者がいた。あの吟遊詩人だった。

「ちょっとお姉さん! 凄いねぇ、わたし痺れちゃったよ。はじめは胡散臭い占い師が入ってきたと思っていたけど、いやごめんね、占い師には怪しい手合も多いからさぁ。それがまさか、凄腕の魔術師だったとは! 魔法を使うときのあの手さばき! 格好良かったな。指を二本伸ばして、ピッと空中に文字を書くみたいにして! わたしはあれを見ていっぺんに3つは詩を思い浮かんだよ。それにあの決め台詞! 『魔術師相手に手品を披露するときは気をつけたほうがいいですよ、ペテ――」
「うわぁ、ちょっとちょっと。やめてください恥ずかしい」

 遮っても、まるで頓着せずにぺちゃくちゃ一人で喋っている。まるで小妖精ピクシーだ。大きな丸い目が熱病患者のようにキトキトしている。
 あらららら、これはまずい流れの予感。

 仕方がないので私は、適当に相槌を打ちながら、吟遊詩人が喋るたびにぴょこぴょこ揺れる帽子の羽飾りを眺めていた。艶のある深い緑の尾羽。スラルキウオクイドリ(*1)かしら。いや、あの鳥は長い尾羽は持っていない。おそらく、私の知らない遠い外の世界を自由に飛ぶ鳥なのだろう。角度が変わると紫色にも見える。きっと日の光の届かないほどの密林を、滑るように飛んでいるに違いない……。

「――なんていうの?」
「はい?」
「名前だよ名前! お姉さんの名前! 教えてよ」
「ああ。ミルッカです。ミルッカ・サルナトゥ」
 私は答えながら、改めて吟遊詩人を観察した。
 暖炉のそばで歌う姿は、光の加減のせいか大人びて見えたのだが、今は私と同世代くらいに見える。背も、私よりいくらか低かった。パンケーキのような平たい帽子も、身に纏った衣装も、赤と白の縞模様。帽子からは、三つ編みにされた美しい金髪が肩口まで垂れていた。緑色の大きな瞳はクルクルとよく動く。

「サルナトゥか! ということは、この辺の人だね。わたしはコレット・ラタン。よろしく!」
 手を差し出してきた。なにを“よろしく”されたのかさっぱりわからないまま上下にぶんぶん振られる私の腕。きっとこれもなにかの楽しい巡り合わせですね。とはいえ、さて、そろそろお暇しないと……。

 私が挨拶もそこそこに出口に向かおうとすると、吟遊詩人(コレットとかいったかしら)は私の両肩に手を置いて進行方向をくるりと変えた。リュート弾きらしい、綺麗な指だった。思わず肩に置かれた手に魅入ってしまいそうになる。

「ちょっとちょっと、どこに行こうってのさ。これからあの詐欺師を追いかけて、とっちめるんでしょう? ほら、ドワーフの親方が困り顔だよ。私も協力するからさ、ミルッカさんの活躍を歌にさせてよ。いいでしょ?ちょうど冒険譚のレパートリーを増やしたいと思ってたとこなんだ」
「いやいや、わたくしはそんなつもりじゃ……」
「おお、あんた! 力を貸してくれるのか!?」
 体の芯が震えるような大声が会話に割り込んでくる。声の主は、顔を見なくてもわかる。あの船乗りドワーフだ。
 私は、波にこの身を攫われるのを感覚した。


無限の煙の壺エバースモーキング・ボトル

流れにその身を横たえて

「占いの本質は、宿命論の否定だよ」
 母が事あるごとに、唱えるように言った言葉。
 幼いころの記憶だろうか、それともつい最近のことだったか、最早わからないが、日の光が降り注ぐ窓辺に腰掛けた母の姿が脳裏に浮かぶ。母が弄ぶルーン石が、さらさらと清らかな音をたてていた。

「いいかいミルッカ、忘れるんじゃあないよ。私たち占い師は、予言者じゃない。人は占い師を『当たるか、当たらないか』で評価するが、本当のところ私たち占い師にとって、当たるか当たらないかなんてのは、”ちっとも重要じゃない”んだよ」
 ニワトコの花エルダーフラワーのお茶を少し啜り、母は続ける。
「考えてもみなさい。例えば……そうだね、あなたが占って『水難あり』と出た客が、次の日見事に・・・溺死したとする。占いは的中だ。お前は、これが嬉しいかい?」
 ミルッカはかぶりを振る。

「そうだね、ちっとも嬉しくない。ちっとも嬉しいはずがないさ。いいかい、占いの最大の役割、それはね、『水難を的中させること』じゃない。『水難という宿命を否定する』ことにあるんだ。
 未来に横たわる影を予見し、それに抗する手段を探す時間を与え、その影の尾を踏まないように導く。それが、占い師の最も尊い仕事なんだよ。わかったかしら?」
「はい、お母さま」
 ミルッカは、どこか遠くで自分の声を聞いた。

(それでも、)ミルッカは思ってしまう。
 時に、この身が大きな流れに押し流されるのを感じる時がある。何らかの意思か力によって、この身を転がされる感覚がある。それを「宿命」と呼ぶのかどうかはわからない。わからないが、感じる瞬間があるのだ。
 それはまだ、私が未熟な占術師だからだろうか?
 それともこの血に流れる魔力が、私に囁くからなのだろうか?

「おーい、ミルッカさーん大丈夫? もしもーし?」
 綺麗な指が、目の前でヒラヒラ振られている。
「あ、ごめんなさい、少し考え事を」
「いいね、魔法使いっぽいね。素敵。歌の中の魔術師も、『急に考え事をする』って設定にしよう。……じゃなくて、ドワーフの親方がお待ちかねだよ」
 コレットに紹介され、待ってましたと言わんばかりに、ドワーフがずいと進み出た。

「あんた、ミルッカさんっていうのか。俺っちはダカンソー。【ギルギム商工会】のダカンソーってもんだ。昔はロドゥニ=ローワン(*2)の方で大工をしていたが今は――」
「船乗り、ですよね」
 言ってから、相手を遮った非礼に気づき、ミルッカは小さく「失礼」と付け足した。一方のドワーフは一向気にする様子もなく、目を丸くして驚いている。
「ご名答! その通り。今はピスピナバル(*3)から出る船の船員兼船大工よ。流石、凄腕占い師さんにはお見通しってわけかい」
(刺青でわかっただけだけど、せっかくなので黙っておこう)
 ミルッカは意味深げに微笑んだ。

「それにしてもあんたには助けられたぜ。あんたがいなけりゃあ、俺ぁ1ヶ月分の稼ぎをそっくりそのまま騙し取られるところだった。ところがどうだい、あんたのおかげで、稼ぎを丸々盗み取られただけで・・・済んだ、ってな! ガハハ、今のが笑うところだぜ! じゃないとこの先、笑うところなんてねぇからな!」
 ひとしきり自分の冗談で笑った後、ダカンソーは空になったテーブルを恨めし気に見つめる。

「なああんた、いや、ミルッカ嬢! どうだろう、これも何かの縁だ。あのペテン師野郎をやっつけるのを、どうか手助けしちゃくれねぇか? あんたがいりゃあ百人力だ。
 勿論! このダカンソー、礼は弾むぜ! ま……今はその金がねぇわけだが……」

 今にも拝みかねない勢いのダカンソーをなんとか抑えつつ、考える。
 ミルッカは経験的に知っていた。「流れ」に逆らうと、大抵ろくなことがない(かといって流れに乗れば痛い目を見ないで済むかといわれると、そんなことも全然ないのだが)。そもそもこれは、半ば自分の軽はずみが引き起こした事態である。
 
(それに……)先程までテーブルの上にあった金貨の山。なるほど確かに、この船乗りの稼ぎは”それなりの”ものらしい、と、打算的な商売人としての自分も頭をもたげてきた。いけない、いけない。浅ましいぞ、ミルッカ・サルナトゥ。
 これがホントの乗りかかった船、ね。ダカンソーの二の腕に彫られた銛の刺青を見ながら、ミルッカは思った。
「わかりました、ダカンソー様。この仕事、お受けいたしましょう」

「やったぁ! そうこなくっちゃ!」
 隣でコレットが、何故か自分の事のように喜んでいる。
「有難てぇ! 恩に着るぜ、ミルッカ嬢!」
 ドワーフのがっしりとした手と握手を交わす。依頼は人探し。交渉成立。報酬は……まあ、それを今言うのは野暮というものだろう。

残された手がかり

「早速だがミルッカ嬢、あんたに見てほしいもんがあるんだ。魔術師のあんたなら、何かわかるんじゃねぇか?」
「いや、わたくしは魔術師というほど大したものでは……。まあ、いいでしょう。どれですか?」
「これなんだけどよ」

 ダカンソーの手に握られていたのは、例の小壺だ。
「俺っちはあの詐欺師の一番近くにいたもんでよ、はっきりと見たんだ。頭にはカーッと血が昇っちゃいたが、しっかりと覚えてらぁ。あの男、逃げる直前にこの壺を取り出してよ、床に叩っつけたんだ。そしたらモクモクモクッてなもんよ。」
 その場面は、確かにミルッカも目撃している。男が懐から壺を取り出し、投げていた。ドワーフは続ける。
「そんでよ、さっき床に落ちてたんで拾ってみたのよ。そうしたら、魔法の力……っていうのか? 魔道具マジック・アイテムを手に持つと必ず一瞬感じる、例えるならそう、静電気を帯びたものに手を近づけた時のフワフワッとした感覚に似た……魔法使いのあんたならわかるだろう? それを感じたわけだ。
 今ではその感覚もすっかりなくなっちまったが、ひょっとしてこれも魔道具マジック・アイテムなんじゃねえのかい?」

 ぱっと見た所、その真鍮製の壺はガラクタ屋も引き取らないようなつまらない代物だった。
「ふぅん、冴えない壺だね」コレットが横から覗き込み口を挟む。
 確かにコレットの言う通り、冴えない壺だ。表面はくすみ、薄汚れている。ミルッカは受け取ったそれを、今度は丹念に調べた――

▼魔法学(難易度15)
ミルッカ
1d20+5>25>クリティカル成功(*4)

コレット
1d20+1>15>成功

――なるほど。
 埃を被っていて気がつきにくいが、よく見ると壺口を取り囲むようにして幾重にも文字がエッチング加工で彫り込まれている。ルーン文字だ。ただしその線は歪み、筆跡は踊り狂っていて、お世辞にも美しいとは呼べない。
 この書き手は、ルーン文字のもつ直線的な美学を何一つ理解してはいないんじゃないかしら。内心で小さく憤慨する。
 素人仕事、というのがミルッカの受けた印象だった。

「へぇー。ルーンが彫ってある。この辺の魔法使いが作ったのかな?スラルキにはルーンを使う魔法使いが多いよね」
 意外にもコレットが反応した。なかなか鋭い着眼点だ。ミルッカがそれに補足する。
「ええ、おそらくこの土地の魔術師の作でしょう。ただし、かなりの粗悪品ですね。綴りスペルの間違いがいくつかあります。ほらここ、それからここも」
 ダカンソーが指で指し示された場所を覗き込み、さっぱりわからないといった様子で鼻を鳴らした。

「もう少し詳細を調べてみましょう。識別アイデンティファイ呪文を試してみます。10分ほどお時間を頂ければ……あっ」
 ミルッカは小さく声をあげた。
「うん、どうした? 時間なら構わねぇからちゃっちゃと魔法をかけてやってくれよ」
「いや……すみません。うっかり失念していました。識別呪文には真珠が必要なのですが、生憎手元になくて……」

 途端、周囲のギャラリーがヒソヒソと囁き始めた。
……始まったぜ、魔女のいつもの手だ……
……やれ魔法に必要だのなんだの言って、他人に物をせびるのさ……
……見ろよ、あの魔女。ハーフエルフだぜ……どうせ俺たちヒューマンには魔法の事なんかわかりっこないって腹さ。半分は俺らと同じクセしてよぅ……

 こんなことは、慣れっこだ。ミルッカはじっと手の中の壺を見つめた。もう、魔法は使えない。せめてなにか新しい発見はないだろうか。
 背中に、コレットの柔らかい手がそっと置かれる。

「いい加減にしろよおめぇら!」
 ドワーフが、怒声をあげた。今日一番の、大音声であった。店内は静まり返り、ワイングラスが共鳴して震える甲高い音だけが微かに残る。
「いいか、これ以上ガタガタ抜かしたい奴は、今すぐ前に出て、俺に言え。今すぐだ。でなけりゃ臭せぇ口閉じて、二度と俺の前で開くんじゃねぇ。400歳のジジイにも笑われるような、歯抜け面にされてぇか」
 無論、出てくる者は一人もいない。
 ダカンソーは店内をぐるりと一周ねめつけた後、おもむろに襟元から銀のネックレスを引き出し、太く短いその指で、そこから乱暴に何かを引きちぎった。

「気ぃ悪くすんなよ、ミルッカ嬢」
 不愛想だが温かみのある声だ。
「ほれ、持ってけ。これで事足りるか?」
 何かを手渡す。見れば、滅多に見ないほど大粒の真珠がミルッカの手の中で灰白色の輝きを放っていた。これなら申し分ない。
 ミルッカはこくりと頷いた。

「いよっしゃ! そんならとっととやっちまおうぜぃ!」
 ドワーフが破顔した。

イルナリルの魔術

 チョークで床に簡単な陣を描き(店主はちょっと嫌な顔をした)、中央に壺を置く。右手で壺に触れ、口の中にそっと真珠を含んだ。
「始めます」
 詠唱を開始する。それは月の女神への祝詞。月光の力への嘆願。真珠は、月の女神イルナリルが海に落とした一滴の銀の血であり、かの神の清き力の結晶。その力は帳の如き魔力の織ウィーヴを照らし、その輪郭を明らかとする。
 ミルッカがイルナリルの名を口にすると、舌の上の真珠が夜露のように冷たくなった。目を閉じるが、なお明るい。瞼の裏に光が満ちている。昼の光ではない。月光だ。同時に、魔法陣からも青白い光が溢れ、周囲からかすかなどよめきが漏れた。
 魔力の織ウィーブが、頭へ流れ込んでくる。眩い月光の中で懸命に目を凝らし、端から伸びる一筋の糸を握った。途端、織がほつれ、とろけるようにほどけてゆく。ミルッカは握った糸を離さぬよう、切らぬよう、慎重にそれを手繰った――。

「……終わりました」
 ミルッカがゆっくりと目を開ける。時間にして僅か10分程度の出来事。張り詰めていたあたりの空気が弛緩した。
 先程まで彼女に疑惑の目を投げかけていた周囲の客も、いつの間にか自分が息を詰めていたことにようやく気がついたようだ。そわそわと、落ち着きなく互いの顔を見合う。

 ミルッカは、掌にそろりと真珠を吐いた。しっとりとした唾液を服の袖で拭ってから、申し訳なさそうに言う。
「すみません……後で洗って返しますので……」
「ああ? いや、それは元々あんたにくれてやったつもりだったんだよ。前金だ、とっておきな」
「でも、これは船乗りの大切なお守りなんじゃ……」
「いいんだよ。みみっちい事、気にすんな。知ってるか? お守りは役に立つからお守りなんだぜ……。それよりどうだったんだよ、魔法の結果は」

 ミルッカはお礼を言いながらポケットに真珠をしまったあと、小さく咳払いをした。
「あらかたわかりました。まず、その壺は無限の煙の壺エバースモーキング・ボトルと呼ばれる魔道具マジック・アイテムです。
 ……いや、正確には、その紛い物だったもの、と言うべきかもしれません。本来の無限の煙の壺エバースモーキング・ボトルは、合言葉と共に蓋が閉じられるまで、それこそ名前の通り無限に煙を吐き出し続けます。ところがこれは作りが杜撰だったので、一度使っただけで効果が切れてしまった。現に今も壺からは魔力が失われ続けています。放っておけば、じきにただの真鍮のガラクタに戻るでしょう」

「へッ、それじゃあこいつは最早”煙吐かずの壺ネバースモーキング・ボトル”ってわけだ。ざまぁ見やがれ!」
 ドワーフが小壺の中に、忌々しげに痰を吐いた。うわぁやめなよ、とコレットがわずかに身をのけ反らせる。

「コレットさんの予想も正解でしょうね。やはりこの品はこのあたりの魔術師の手によって作られたものでしょう。術式が、わたくしにも馴染みのある形で編まれていました。南の魔術師たちならば、この手の物を作るとき、大抵ノーム語を用いますからね。
 きっとこの地の魔術師が、聞いた話を頼りに見よう見まねで作ってみた……そんなところでしょう」

 ここで一旦話を切り、ミルッカは自分の唇を撫でた。頭の中を整理しながら、自分の考えを確かめる。うん、確証はないけれど、綻びもない。きっと当たっているはずだ。短く息を吸い、言葉を続けた。

「以上の情報から、私には一つの心当たりがあります。
 ……これより南西1マイル、沼地に佇む廃屋敷、その中に、例の男が潜伏しています」

 再び周囲がざわめいた。だが今度の話題はミルッカではない。ひそひそと囁き合う男たちの顔には不安が見える。
……おいおい、今南西の廃屋敷と言ったか?……
……間違いねぇ、あのおっかねぇ沼地の屋敷さ。気違い魔術師の……
……シッ、余計なこと言うんじゃねぇ! 祟られるぞ……

「おいおい……さっきの魔法一発でそんなことまでわかっちまうのか!?」
「いえ、これは単なるわたくしの推察の域を出ません。ですがおそらく当たっているはずです。さて、私たちも向かいましょう。この結論に至った理由は道中でご説明しますから」

 そういうとミルッカは立ち上がり、さっさと店を出る準備を始めた。
 吟遊詩人は期待が抑えきれないといった様子で、戯れにリュートをかき鳴らしつつ後に続く。少し遅れて、煙に巻かれたような顔をしながらわたわたと追い縋るドワーフの姿があった。
「ま、待ってくれよ。俺っちにもわかるように説明してくれぇ!」

 店には不安そうな顔をした男たちと、相変わらずむっつりと鱒のソテーを焼き続ける店主が残された。


ミルッカの手記 その3

「それでそれで、ミルッカさん? 早く種明かしをしておくれよぅ」
『三つ目トロルとカニのうた』(*5)をのんびりとつま弾きながら、コレットさんが訊ねてきた。後ろを歩いていたダカンソー氏も、これに同調する。

 私たちは村から出て、沼地への道を歩いていた。外は相変わらず冬にしては異常な暑さだったが、日も随分と傾き、盛りは越えていた。気温のせいか、沼地特有の青臭い匂いがいつもよりも強く感じる。
 ただでさえ柔らかい土壌に雪解けの軟泥が加わり、歩きにくいことこの上ない。ひょっとして足跡でも残っているのではないかと期待したが、どうやら相手も慎重に草の上を選んで歩いたようで、それらしいものは見つからなかった。

 別に種明かしというほど大したものではないのですけど、と念入りに前置きをしてから、私は二人に経緯を話す。

「お二人はこの村に滞在してそれほど日が長くありませんよね。それならば知らなくても当然なのですが、これから向かう沼地の屋敷は、実はこの村のちょっとした名所なんです。勿論、悪い意味でね」

 その屋敷は、随分昔から村の南西の沼地に建っていた。位置関係で言えば、ちょうど村を挟んで私たちの家の反対側になる。いつからそこにあるのかは定かではない。長老も知らないというので最低でも60から70年、下手をすると100年以上もそこにあるのかもしれない。
 かつて屋敷には、一人の老人が住んでいた。と言っても、母によればそれだって40年以上前の話である。

 彼は独学でまじないを修めた魔術師くずれの男で、ある日村の北にある森からふらりと現れたかと思うと、勝手にその屋敷に住み着いたらしい。噂では魔術師は屋敷に籠り、夜な夜な魔術の研究をしていたという。実際に怪しげな呪文を聞いた者が何人もいるので、この噂は当たらずとも遠からずだったのだろう。
 とはいえ、噂というのは時がたつほどに尾ひれがつくもの。いつしか「近づくと子供が攫われる」だの「蘇った死者が畑で働かされているのを見た」だの言われるようになった。

 その魔術師も、最後に見かけられたのは私が物心つく前なので、かれこれ20年近く前の話だ。彼の最後は定かではない。
 死んだと言うものもいれば、研究の果てに発狂して失踪したと言うものもいる。魂だけになって今なお研究を続けていると言うものもいる。なんにせよ、真相は誰にもわからなかったので、村人たちは気味悪がって屋敷に寄り付かなくなった。

「なるほどねぇ。それで酒場の男たちの反応にも合点がいったよ。ま、怯える民衆ってのもお話の引き立て役には必要だわね」
「ったく情けねぇ奴らだな。一丁前なのは口だけか。これだから鋼鉄の血が流れていない連中は……」
 口々に好き勝手なことを言っている。

「……話を戻しますね。私がこの屋敷を潜伏先だと考える理由は2つです。1つはあの男が流れ者のペテン師だったこと。
 1つの街に留まって悪事を働く人間ならともかく、ああいった流れ者の悪人は集落の外に隠れ家を持ちたがります。今回のようにドジを踏んだとき、土地勘のない村の中に隠れて現地民とやりあうのは無謀ですからね」
「ふむ」とダカンソー。

「その点、あの沼地の屋敷はうってつけです。村からは少し距離があるし、村人は誰も近寄りたがらない。大方、村に下見に来たときに噂を仕入れて、これ幸いと思ったのでしょう」
「確かに、わたしら吟遊詩人もその手の話はよく聞くよ。縁起の悪い土地ってのは大概悪党の根城になってるってね。幽霊に殺されたなんて人たちの半分は、その実盗賊にやられちゃってるんじゃないかな」
 コレットさんが面白そうに言った。うーん、笑っていいものかしら。

「もう一つの理由が、あの無限の煙の壺エバースモーキング・ボトルです。
 あれは、明らかに試作品でした。どこぞの魔術師が、実験的に作ったもの。普通、そういった品は市場にはまず流れないんです。
 魔術師ウィザードという人種はおしなべて自尊心が高い。完成品ならともかく、あんな中途半端な出来のものを売ろうと考える魔術師はそういません。自分の力を侮られますからね。
 それに、試作品というのは研究成果です。それをわざわざ手放すということも、やっぱりあり得ません。彼らは人の知る事を知りたがり、自分の知ることは隠したがる秘密主義者です。わざわざ他人に、研究のヒントとなりうるものを明け渡すはずがない。彼らの知識に対する意地汚さは、財宝に執着するドラゴンのそれに匹敵しますからね」

「それ、自分のことも言ってる?」
 コレットさんが茶化すので、私はウィザードではありません、とピシャリと返す。(*6)

「ともかく、ああいったものはお金ではまず手に入らないんです。だからそれが出てくる時というのは、無理やり奪ったか、盗んだか、あるいはどこかに捨てられていたのを見つけてきたときか……」

「なるほど! それで“沼地の屋敷”っちゅうわけか!」
「ええ、このあたりでそんなものが見つかりそうな場所というと、あそこしかありません。
 これは想像ですが、おそらく忍び込んだ時に偶然蹴飛ばしたりして、あの壺の効果に気がついたのでしょう。そして使えると判断し懐に入れた……。
 こう考えるのが、自然ではありませんか?」

 ブラボー!
 コレットさんが手を叩いたり、リュートをジャカジャカとやりながら囃し立てるので、なんだかこそばゆい。注意をそらすために、二人に声をかける。

「ほら、そんな事を言ってるうちに、見えてきましたよ。例の屋敷が」
「ふぅん、なるほどね。なかなか雰囲気あるじゃない。冒険の舞台にはうってつけってわけだね」
「ハッ! 魔術師だろうが幽霊だろうが関係ねぇ。俺ぁ俺の金を取り返すだけだ」

 荒涼とした地に、屋敷がぽつねんと立っている。生暖かい風が吹くたびに、あたりに生えているガマの穂が揺れた。
 屋敷にはあちこちに無理やり増築した様子があった。柱や煙突は傾げ、全体のシルエットが歪な三角形のようになっている。あたりは静まり返り、吟遊詩人のリュートの音も、まるでどこかに吸われるかのようにすぐに霧散した。

 あたりには背の高い草が生い茂っていた。そのため、足元に大きな沼があっても近づくまで気が付かない。突然、2羽の鴨がすぐ近くから飛び立った。水面が乱れ、そこに写り込んでいた屋敷の影も波に揺れた。

「怖かねぇ。怖かねぇが……嫌な場所ではあるようだな」
 ドワーフがぽつりと呟いた。

つづく


注釈

*1:スラルキウオクイドリ
スラルキ地方の固有種。長い嘴と緑の羽をもつ。ヒョウガマスを主食とする。その特徴的な体色は、水中にいる魚から見えにくくするためだという説がある。美しさと希少性から古くより珍重され、特に鮮やかな緑の羽毛はスラルキ地方の豪族の服飾に使用される。
*2:ロドゥニ=ローワン
ドワーフ王国。ドワーフ族の国家の中では最大級の規模を誇る。”道王”ラダドルフ・トルナク時代に黄金期を迎え、全盛を過ぎた今なお隠然たる力を有した大国である。カタツムリ騎兵部隊が著名。
*3:ピスピナバル
港湾都市。マリボウ川の河口に位置し、カラピス湾に面する。コルトの古森から切り出した材木の輸出で潤う商業都市でもある。十数年前の国王崩御及び女王即位に際し改称された。旧称ピスパルバル。
*4:クリティカルとファンブルについて
我々の卓ではクリティカルとファンブルについてハウスルールを採用しています。ルールの詳細は第0回「去りゆく季節の名残を追って」記事内の「ハウスルール」の項目をご覧ください。
*5:三つ目トロルとカニのうた
スラルキのみならず幅広い地域で歌われている滑稽詩。カニに知恵比べで負けて大切な目を取られたトロルを描いたグロテスクかつナンセンスな詩は、特に童たちに人気がある。とある国ではあまりにも流行したため1回歌うごとに銅貨3枚という課税がなされたが、民の猛反発を食らって発布から8時間後には撤廃されたという逸話も。細かい歌詞の違いに地域差がある。作者不詳。
*6:私はウィザードではありません
もちろん、ゲームデータ的に言えばミルッカはウィザードクラスである。ここでは作中人物が自認する肩書や社会的立ち位置としての魔術師ウィザードの話をしており、ミルッカはこれには当てはまらない。彼女はあくまでも見習い占術師である。


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