第一回「去りゆく季節の名残を追って」その1
前回のあらすじ
見習い占術師ミルッカ・サルナトゥは、19歳の誕生日に占術の師である母、シャーヤ・サルナトゥから自身の出自を告げられる。
エルフである父について、体を流れるエラドリンの血について、そして幼少のころから備わっていた魔術的才能の由来について。
「家を出て、父を探し、魔法を制御する術を学べ」
師として与える最後の試練として課された母の言いつけに従い、若き占術師の旅が幕を開ける。
ミルッカの手記 その1
スィランディル節、一の月二十二日
ミルッカ・サルナトゥこれを記す。
気温18度、無風、降水なし。
暑い!真冬だというのに、上空を赤竜でも飛んでいるかのような気候だ。雪が解けて、そこここに水たまりができている。
私は水たまりを踏まないように慎重に足元を選びながら、慣れ親しんだ小道を村の中心地の方向へと歩いていた。
道のほとんどが軟泥と化し、歩くたびに靴や裾に泥が跳ね散るのには閉口。跳ねた泥がきつい日差しで早くも乾き、パリパリになっているのを嘆息まじりで眺める。これでは後の洗濯も一苦労だ。
ともあれ、旅立ちの日とあっては、大雪で立ち往生してしまうよりずっとマシかもしれない。腰まで雪に埋もれて身動きがとれず、惨めに腕をばたつかせる自身の姿をちょっと想像し、泥くらいで泣き言は言っていられないと思い直した。
顔をあげると、雲もなく澄んだ空気に、遠くスラルキ山脈の銀の雪嶺が冴え冴えとよく見える。その稜線は、触れれば指が切れそうなほどに鋭い。
山の向こうにはオスタルという都市がある。そこが私の旅の当面の目的地だ。占術によれば、私は人の集う場所を訪れなければならないらしい。
人が集えば、情報も集まる。父のことを知る人物もいるかもしれない。
そんなことを考えながらしばらく歩いていると、いつの間にか集落の入り口についていた。削り出しただけの松の木で作られたᚢ(*1)型の簡素な門は、長年日に晒され、流木のようにぱさついていた。
私たちの家は、集落から少し離れた丘の上にあった。”魔女”の家は集落のはずれにあると、昔から相場が決まっている。村人たちには相談事があるたびに傾斜を登らされるのでかねがね不評であったが、そもそも彼らの先祖が「わからぬもの」を遠ざけようとした結果なのだから勝手な話である。
もっとも、彼らの素朴な恐怖心もわからないではない。こちらとしても本気で腹を立てたりする気はさらさらないのだけれど、痛い点を指摘されると村人たちが気まずそうにするのを面白がって、母はこの意地の悪い嫌味を口にするのを好んだ。
実際のところ、「誰のせいでこんな辺鄙な所に住まなきゃならなくなったのかねぇ」という母の一言で、さっきまで不満たらたらだった大の大人が顔を赤くしたり青くしたりするのはちょっとした見物だった。私は母ほど悪趣味ではないけれど!
入口の脇には古い切株がある。そこへ腰を下ろし膝の上に布を広げると、懐から取り出した革の巾着から4つの小石をつまみ上げ、布の上に並べた。
ルーン石だ。
母が私に教え込んだ占卜の技。きっとこの技が、私を父まで導いてくれるに違いない。滑らかに磨かれた紫水晶の表面に刻まれた、素朴な文字を覗き込む。
四つのルーンは、それぞれ左から「過去」、「現在」、「未来」、そしてその結果に対する「対策」を表している。
過去に「馬」が出ている。信頼できる相手や順調に進むことを意味するこのルーンが過去に出ているのは、私が母の下でなに不自由なく占術の研鑽に励めたことを意味するのだろう。
そのような安全で快適な生活は最早過去のことである。これからは未来に控えている「巨人」、つまり未知の領域や危険に対して防衛を講じねばならない時期に差し掛かったのだ。
現在の「ヘラジカ」は防御を固めるという意味のほかに、友情、仲間と共にすることを表す。
対策に出ているイチイの木も意味は防御だ。慎重な行動をした方がいいのかもしれない……。
まずは山脈を越える前に、この町で十分な支度を整えることにしよう。必要なものを買いそろえなければならないし、占いの仕事が見つかればいくらか路銀の足しになるかもしれない。
気楽な一人旅のつもりだったが、用心棒でも雇うことも検討したほうがいいだろうか……?
酒場「錆だらけの斧」にて
「錆だらけの斧」
重い樫の扉を押し開けると、中からは喧騒と共に酒精の匂いがムッとあふれ出た。「錆だらけの斧」亭は、ここワヌヴァに存在する唯一の酒場兼宿屋である。
扉の上には、店の名の由来となった錆だらけの両刃斧が掲げられている。なんでも店主がこの酒場を始める前に傭兵をしていたらしく、斧もその頃の得物だということで誇らしげに飾られていたのだが、それがあまりにも錆にまみれていたので常連たちが揶揄してこの名で呼ぶようになったという。
この酒場にも、正式にはどこぞの戦神にちなんだ大層な名がつけられていたが、もはやそれを覚えているのはカウンターの奥でむっつりと鱒のソテーを焼いている店主ただ一人だ。
「……いらっしゃい」
禿頭に髭面の顔をちらりとこちらにやったあと、すぐに興味を失ったような様子で店主が言った。ミルッカのような若い女の一人客など、無骨なこの店には本来珍しい存在である。しかしミルッカは度々占いの営業でこの店を訪れていたので、既に店主とも顔なじみだ。
こちらも会釈をしつつ、いつも通り店の一番奥、暖炉から遠く少々薄暗い席に腰を下ろした。占いの性質上、人に聞かれたくない相談事をもちかけてくる依頼者も多い。そうした依頼者に対応しているうちに、いつしかこの席がお決まりとなっていた。
机の上のパン屑を払いのけたあと(酒場の机はいつだって汚くて困りますね!)、占い用の敷布を広げながら、さりげなく店を見渡す。これも占い師としての性。
ワヌヴァは街道沿いに位置し、小さいながら旅人や冒険者の手合いがよく訪れる村だ。そして、日々命懸けの生活をしている彼らの中にはゲン担ぎや占いを好むものが多い。それに、彼ら冒険者は金払いがいいのも、占い師としては有難い事だ。
「ケチな僧侶を五人占うより、冒険者一人を占った方がいい」
と、これは母であるシャーヤの言。
鑑定を持ちかけてきそうな人物に予め目をつけておき、その言動や振る舞いからそれとなく人となりを探っておくのも、占い師にとっては必須技術である。
そういったわけで、赤ら顔の常連客の中からそれらしい新顔を探していると――
――気になる人物が3人ほど目についた。
見かけない顔
一人は暖炉のそばに陣取り、リュート片手に朗々と歌をうたっている女。派手な色合いの縦縞の服に身を包み、これまた派手な羽飾り付きの帽子を斜に引っ掛けた姿は、模範的な吟遊詩人といった様子でいかにも小粋だ。
彼女の周囲はエールを片手に耳をすます男たちで人だかりになっている。
歌っているのは――
――何の歌だろう?
観客の一人である大男が、ごつい小指で目尻を拭った。とすると悲恋の歌だろうか?店の中の喧騒のせいで、こちらまではまるで歌声が届かない。
女給がわざわざ足を止めて聞きほれている所を見るに腕はいいようだが、聞こえないのは惜しい。
残念だなぁ……。ミルッカは僅かに口を尖らせながら、今度はその喧騒の出所へと目を向けた。
店の反対側、ミルッカの席から対角の位置では、先ほど目を付けた二人の男がテーブルを挟んで向かい合っている。
片方は豊かな髭を編み込んだドワーフの男。逞しい二の腕に彫られた銛柄の刺青は、彼が船乗りであることを示していた。対するはゆったりとして上等な、赤いビロウドのマントを羽織ったヒューマンで、微かな微笑みを浮かべながら神経質そうに顎を撫でている。賭博師だ。
二人の周りには野次馬が集まり、異様な熱気を放っていた。どうやら彼らはカードゲームで賭け事をしているらしい。二人がドラゴンが描かれたカードを切るたびに、机の上の金貨の小山が動き、周囲からは野次や歓声が上がった。
占い師にとって、ギャンブラーはよい客だ。彼らほどゲン担ぎを好み、運気の流れを信じ、未来を知りたいと望む人種もそうはいない。賭けの結果を直接卜するのは占いにおけるタブーの一つだが、大きな勝負を前に運気を占っていく賭博師は多かった。おまけに彼らは大抵気風がよく、お守りの類もわんさと買っていってくれる……。
(いけない、いけない)
ミルッカは額をピシャリと叩いた。
今日は商売に来たのではなく、旅の道連れを探しに来たのだ。この店に来ると、ついつい商売の頭になってしまう。占い道具を広げているのも、会話を通して相手の人となりを探ろうと思ったまでのこと(ついでに小銭稼ぎになればなおいいが)。本来の目的を見失ってはいけない。
(人が集まる所といえばここだから来てみたけれど、果たしてこの中にぴったりの方がいますかしら)
酒場の喧騒を遠くに聞きながら、ぼんやりと考える。
ミルッカは迷っていた。元より父を探すという個人的な旅だ。先程の占いの結果が出るまでは他人と連れ合う予定はなかった。
そもそも、正式な護衛を雇うだけの金銭的余裕がない。護衛の依頼をするなら相手にも利のある条件を提示する必要があるだろう。そんな条件を自分が持ち合わせているのなら、の話だが。
相手が信頼できる人間かどうかも問題である。用心棒として雇ったつもりが、人里から離れた途端に裏切られ、あべこべに命を落とすなどという話はザラに聞く。
(とはいえ……)ルーン石が示すように、仲間がいた方がよいのは事実。魔法をちょっと扱える程度の女の一人旅なんぞ、狼の胃袋に納まるか野盗の奴隷になるのが関の山だ。
(人となりが信頼出来るのは絶対条件。そのうえ腕が立ち、おまけに私と利害の一致する相手。そんな都合のいい相手が――)
「さあ勝負だ、こいつが俺っちの切り札よ!強度11のゴールド・ドラゴン!お前さんの強運も、そうは続くめぇ!」
突然の大声に、体がびくりと跳ね上がった。意識が思索の世界を漂い始めていたところを、無理矢理引き戻される。
驚きながら向こうのテーブルに視線を戻すと、ドワーフが雷のような声を轟かせながら、札を叩きつけている場面だった。顔を真っ赤にしている所を見るに、どうやら劣勢を強いられているらしい。
一方の賭博師は涼しい顔。彼が勿体ぶった仕草で手の内を明かすと、周囲の観客がどよめいた――
「惜しかったな親方。だが失敬、強度12のレッド・ドラゴン、単色編隊だ。昔から『ティアマトは手土産の多い男を袖にする』と申してね」(*2)
机の上にはレッド・ドラゴンが描かれた札が三枚並んでいる。ルールはさっぱりわからないが、今にも失神しそうなドワーフの様子から察するに、賭けには賭博師が勝ったのだろう。
だがミルッカは見逃さなかった。手札に釘付けになっている男たちの目を盗んで、賭博師が袖口にカードを一枚隠したのを。
イカサマ師の誤算
「待ってください!その男、イカサマをしています!」
立ち上がった拍子に蹴り倒してしまった椅子が派手な音をたて、一瞬で店内がしんと静まり返った。耳に聞こえるのは、鱒のソテーが焼けるチリチリとした音だけ。男たちの視線が痛いほどにミルッカを射竦める。吟遊詩人の歌声もふっつりと止み、くりくりとした大きな目を好奇心丸出しにしてミルッカに向けていた。
(またやった……)
ミルッカはばれないようにそっと下唇を噛んだ。悪い癖が出た。いつも明け透けにものを言っては、余計なトラブルに巻き込まれるのだ。占いの不吉な結果を包み隠さず客に伝えて怒らせたことも、一度や二度ではない。
何の関係もない部外者がイカサマを告発するなんて、面倒事の匂いがプンプンする。今朝の占いでも、慎重に行動せよと出たばかりなのに!
「いきなり誰だ、あんたは。なに、いかさま?一体何の話を……」
ドワーフは突然の展開についていけない様子だ。
一方の賭博師、もといイカサマ師は流石に手練れといったところか、一瞬浮かんだ面食らったような表情は既に消えている。彼はたっぷりと時間を使って両手を目の高さまであげ、気取った仕草で肩をすくめると、いかにも困ったと言わんばかりの声色で言った。
「おやおやおや、突然何かと思えば随分な物言いだ。賭博師相手には口に気を付けた方がよいですぞ、お嬢さん。中には私と違って、気の荒い連中も多いですからな……おっと!」
突然、机の上に置かれたワインボトルが落下し、割れた。真っ赤な液体があたりに飛び散る。葡萄の匂い。皆の意識が逸れた一瞬の隙に、賭博師の右手が素早く動いた。左腕の袖口へと伸びた指が、カードを捕らえる――
――指先がカードに触れた。
(しめた!)賭博師は内心で勝ち誇った。
しかし次の瞬間、彼の指は空を切った。何者かにカードが掠め取られた感覚だけが残る。何が起こったかわからない男の鼻先で、ヒラヒラとカードが振られた。目の前に、半透明の青白い“手”が浮いている。
ミルッカの魔術師の手の詠唱の方が、ほんの一瞬、疾かったのだ。
「ミスディレクション。観客の意識や視線を意図的に逸らす、基本中の基本の技。魔術師相手に手品を披露するときは気をつけたほうがいいですよ、ペテン師さん」
「なにをっ!」
カードを奪い返そうと掴みかかった賭博師の両腕を、魔術師の手はふわりとすり抜け、ドワーフのもとへと飛んでいく。ドワーフがひったくるように札を受け取りそれを見ると、その髭面がみるみる赤くなった。
「強度3のブロンズ・ドラゴンだぁ……?こりゃおめぇ……とんだブタ札じゃねえか!」
「いや……待った!これは罠だ……!私ははめられて……」
「あぁん!?」
怒り心頭に発したドワーフの耳に、言い訳など届くはずもない。短い両腕の筋肉が盛り上がり、血管が浮き出る。賭博師が恐怖と驚きで目を剥いた。自業自得とはいえ、これから彼の身に起こることを考えると、ちょっと気の毒なことをしたな、とミルッカは思った。
丸太のような腕が、唸りをあげて振りかぶられた。
「……っ!」
賭博師が咄嗟に身を捩り、拳骨を躱す。と同時に、男はマントの裏をまさぐり、何かを取り出した。
(なんだろう……小さな壺?)
思う間もなく、彼はそれを地面に叩きつけた。小さな破裂音。続いて、真っ白な煙と硫黄の匂いが店全体を包み込む。人々の咳き込み、混乱と悲鳴、何かがぶつかり割れる音、激怒したドワーフの牡牛のような唸り声。
やがて煙がはれると、そこに賭博師の姿はなかった。
(ほうらね、面倒なことになると思ったんですよ)
ミルッカは小さくため息をもらした。
つづく
注釈
*1:ウルズ。ルーン文字、野牛を表す。
*2:「ティアマトは手土産の多い男を袖にする」
勝ちを急いで大金を賭けたり、無謀な借金をしてギャンブルをした時に限って負けるものだという戒め。スリー・ドラゴン・アンティのプレイヤーに伝わる言い回しであり、ドラゴンたちの女神であるティアマトをカードの女神に例えた。
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